室町時代より、五百余年の歳月を経て今日に至る。曹洞宗 宇宙山乾坤院 うちゅうざん けんこんいん

イメージ写真「蓮」

乾坤院 うちゅうざん けんこんいん について

宇宙山乾坤院 うちゅうざん けんこんいん 略記

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当山は、室町時代中期の文明7年(1475)に緒川城の守護を目的に初代城主 水野貞守公の寄進によって、川僧慧済が開山した。以来、代々水野家の菩提寺であり、江戸時代を通じて尾張徳川家より禄を下されるなど、厚い庇護を受けてきた。四代目水野忠政公の息女で、徳川家康の生母である於大の方(伝通院)からも、三里四方の山林を寄進されたと伝わっている。明応9年(1500)から明治7年までは輪番制度をとっていたが、以降は今日に至るまで独住制を継承。現在は直門六十一ケ寺、門葉寺院総数五百余ケ寺を有する曹洞宗の中本山をいただいている。明治初頭の廃仏毀釈、第二次世界大戦、伊勢湾台風の大被害から復興を果たし、今日、境内は二万坪におよび、松・杉の森を背景にした七堂伽藍(文化財)は整然として古格を表し、清浄境の趣を呈している。また禅寺の根源となる座禅道場や寺院に隣接する於大公園は一般に開放され、多くの人々に親しまれている。

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名前の由来

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乾(戌亥)は西北、坤(未申)は南西の方角をそれぞれ表わす。今から500年余前の創建時、緒川城からみて、当山がその方角の中間に位置したため、この名がついたとい伝えられている。また「乾坤」が壮大な天地をも意味することから、山号を「宇宙山」とした由来がある。

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  • 寺宝
  • 御本尊仏大通智勝仏
  • 胎内釈迦牟尼仏
  • 絹本着色諸尊集会図