《データでみる池ノ平》

       <目次>
   1、ギネス・オン池ノ平
   2、2012年に池ノ平に逗留された方の年齢構成は(未完)
   3、2011年に池ノ平に逗留された方の年齢構成は
   4、2010年に池ノ平に逗留された方の年齢構成は
   5、2009年に池ノ平に逗留された方の年齢構成は
   6、2008年に池ノ平に逗留された方の年齢構成は
   7、2007年の年齢構成は
   8、テント泊者数の推移
   9、都道府県別、池の平逗留者数
   10、今年の初雪はいつ
   11、どこからどこへ
   12、なつかしい、昭和の時代の池の平は
   13、昭和の時代を総括すると
   14、さて、平成の時代は
   15、幕営申込書からみる登山者の組織実態

              

              1.ギネス・オン池ノ平

               
(1)宿泊者で一番若い人は
<男性>
1
984年(昭和59)8月5日に東京都の川口さん(12歳)がお父さんに連れられて3人パーティで宿泊した。ちなみに、単独行では16歳の柏井さん(学生)が1983.7.31宿泊された。
最近では、2007(平成19)8月15日に管理人の知人の知多自然観察会のパーティ(9名)に中学生3名が参加されていた。その中に男子は、竹内君(12歳)と浅井君(13歳)が参加されていた。これは平成になっての記録。なお、この2名は昨年も、1年ぶりに池の平にお父さん、お母さんの先陣を切って登ってきた。さらに付け加えると、この2人は、管理人とは小学校時分からの山のお付き合いである
<女性>
2007年(平成19)8月15日に愛知の竹内さん(13歳・中2)が12名で逗留(子供3名、大人8名)。竹内さんは上記の竹内君のお姉さん。
             
             
(2)宿泊者で一番の高齢者は
<男性>
最近まで、、職業欄に山形大の講師と書かれた阿部徳三郎さん(ネットでみると「アトク先生」と親しまれたという。山形県・1907〜1994)の76歳の記録がトップだった(1984.8.7、単独行で宿泊)。
 が、2008(平成20)年10月8日、東京の宮嶋さんが77歳と一歳更新した(この年の70歳代は10名宿泊)。しかし、この世界のデットヒートも苛烈で、昨年長野の永沼さん(珪藻の研究者)に破られてしまった。永沼さんは教え子よりも軽い足取りで、29箇所ある池溏を駆け巡った。永沼さんは齢79歳、年賀状に「またお会いしましょう」とあった(この年の、70歳代は16名宿泊)。

 さらに2010年(平成22)、10月7日八王子の宮本さん、さらに翌日の10月8日、2008年宿泊された東村山市宮嶋さんのお二人が79歳でタイ記録となった。しかし、残念なことに単独行の宮本さんは、9日、阿曽原温泉小屋から欅平に向かう水平道の途中、欅平目前の蜆谷附近で転落死された。

 2011年10月東京の宮嶋さん、前年に続き、池の平小屋撮影訪問。同行の方や、小屋のものと新記録達成を祝った。宮嶋さんお元気で何時までも山登りを愉しんでください。

<女性>(1)
2008年(平成20)9月.23日、ガイド山行で北方稜線コースを踏破された、神奈川の矢野さん(74歳)、矢野さんは、剱岳で「日本百名山」を達成され、この日誕生日を迎えられた
     
(2)
2013年(平成25)8月6日、群馬県高崎市の桐生くみゑさん(83歳)、安曇野市の秋田ガイドさんとご一緒し、剣沢経由で池ノ平小屋に泊まられた。83歳は男女含めての池ノ平小屋の最高齢者である。おめでとうございます。
 秋田さんが作った体力増強メニユーを見事にこなし、頑張って池ノ平小屋までこられた。聞くところに依りますと、池ノ平小屋のホームページを拝見し、この企画をたてられたそうです。この夜は桐生さん提供のビールで乾杯!
賑やかで楽しい晩餐となりました。桐生さんお心づかい有難うございます。翌日は、穏やかに、楽しそうに仙人温泉に向かわれました。いつまでも、お元気で自然を楽しんでください

   


             
(3)テントの方の最小年齢者は
<男性>
1993年(平成5)7月21日10歳の大場さん、お姉さん(12歳)、お父さんと3名で池の平で設営。
<女性>
2000年(平成12)8月8日京都の中島さん11歳。なんと、お母さんら4名と室堂〜剱岳〜三ノ窓〜小窓経由のハードなルートで池の平小屋に来ました。池の平ノートには「つらかった、けど、さいこう」と書かれていました。2番目は、1996年(平成8)、東京の近藤さん12歳、お父さんとお2人でテント場着。

             
(4)テントの方の最高齢
<男性>2009年8月18日幕営の細谷さん69歳でした(群馬県)。
<女性>
2009年10月13日幕営の宇津崎さん75歳でした(北九州市)。
    
            
(5)池の平小屋で一番宿泊者数が多かった日は
 
1日で一番宿泊者が多かった日は、旧小屋時代の1984(昭和59)9月23日で45名であった。ちなみに、現在の池の平小屋の定員は30名です。

            
(6)宿泊者のなかで一番人数が多いパーテイは
 
池の平小屋に宿泊された、もっとも人数の多いパーティは、1984(昭和59)9月23日、大阪吹田市の槌田さんグループで39名(男26名、女13名)であった。次に多かったのは2007年(平成19)9月26日の東映の「剱岳・点の記」の撮影隊で26名(女性は1名のみ)。
 昨年は茨城の「根名草会」の皆さん総勢17名(男性9名、女性8名)が宿泊された。皆さん元気よく、笑声の絶えない明るい山の会であった。

            (7)テント泊者が一番多かった日は
 昨年のシルバーウィークの2009年.9月20日。なんと54名の方が幕営生活を楽しまれました。池の平は比較的広いテント場ですが、足の踏み場もないくらいのテントの数で、水場、トイレには長蛇の列が見られました。この日は、宿泊のほうも満員で、仙人池、真砂沢から遊びに来られた方、北方稜線からの通過者など含めると、120〜30名の方が池の平周辺に居たことになります。これは、戦前の鉱山小屋時代を別とすると、池の平始まって以来の混雑、賑やかさだった事になります。二番目は余韻覚めやらぬ翌日の9月21日。この日は47名でした。
   
            (8)ながい〜、ながい〜縦走者は

 子供のころ歌った唱歌に『思い出』という懐かしい歌がありました。
「♪かき(垣根のことです)に赤い花さく いつかの あの家 ゆめに帰るその道 はるかなむかし・・・〜」、
とても琴線に響くうたです。この歌の原曲名は「ロング・ロング・アゴー」(Long Long Ago)といいます。
 ”前に”の意味のAgoからAを抜いて、Long Long goとすると「思い出」(ずっとずっと前にの意)が「長い長い移動」となります。そう、この「長い長い移動」、言い換えれば”縦走”が本章のテーマです(前置きが長くなりました)。
 管理人も縦走が大好きでした。失業中の21歳のとき、大糸線の北小谷駅を出発点に、風吹大池から三俣蓮華まで縦走、当時通行可能だった伊藤新道を下り湯俣温泉にでた。昭和41年のことで9泊した(5泊テント)。
 話変わって、昭和58年ころ、小学低学年の子供二人と妻と蓮華温泉から白馬岳に登り、祖母谷温泉に下山中、アメリカ人のパーティ(10数人で、大学教授がリーダー)と知り合いになった。聞いてみるとなんと彼らの目的地は上高地だった。剱岳、薬師岳、槍ヶ岳、奥穂高岳と歩き上高地に下山するコースでした(この時は、女性2名が欅平でリタイヤ、上高地で合流とのことでした)。
 ガイドブックを見せてもらうと、北アルプスはこのルートがメーインで紹介されていました。平成元年に祖母谷温泉で同宿した韓国人青年も同様のコースでした。また、昨年立ち寄った韓国人(大韓航空に勤務)も2年で北アルプスを全山縦走するということで、欅平を出発点に池の平から剱沢経由で剱岳に登り、槍穂に向かう10日間余の行程でした。

 上高地や新穂高温泉を基点に池の平まで来た方、また、白馬岳など後立山を越え祖母谷温泉経由で池の平まで来る方は一シーズンに1〜2名いますが、その日数は最大10日前後と思われます。

☆ そんななか、昨年稀有とも、凄いとも形容したくなる縦走計画で、池の平小屋に逗留された方がいました。
 昨秋「北アルプス全域縦走(お遍路)実施報告」という報告書を頂きましたので紹介します。☆
<縦走者>滋賀県の田中さん(65歳)で鈴鹿山歩会(労山)。単独行。
<日程>2009年8月1日〜9月29日の60日
<基本姿勢>60日の行程となると綿密な計画準備が成功の可否を左右しますが、田中さんは八つの留意点を自分に課していました。以下列記します。
@宿泊は山小屋利用を原則とする。ゆっくり、楽しくをモットーに登山する。
A常に現在地を連絡先(自宅、山岳会)に伝える(携帯電話等)
B雨天、台風など荒天のときは行動を控え、無理な日程を組まない。
C早朝出発と、14時ころまで小屋着を原則とし、一日8時間行動を目安とする。
D山岳の温泉地等に2日ほど滞在し、休息、洗濯、機器のバッテリー充電を行なう。病気等体調によって休息日を確保する。
E緊急対応としてツエルト、寝袋、非常食、打撲傷等の薬の携帯。
Fコース全体は2004年7〜9月末に、逆コースで(65日間)で縦走済み。
G奥穂高〜西穂高間、剱岳などの岩稜部では荷物の軽減を図る。
<行程>簡略して載せています。
1日目(8/1)わさび平小屋より抜戸南稜手前までボッカ、デポ往復、わさび平小屋泊(5Km、6時間)〜2(8/2)笠ガ岳山荘〜3(8/3)双六小屋〜4(8/4)三俣山荘〜5(8/5)雲の平山荘〜6、7(8/6〜7)高天原山荘、雨で連泊〜8、9、10(8/8〜10)水晶小屋、台風の影響で3連泊〜11(8/11)烏帽子小屋〜12(8/12)船窪小屋〜13(8/13)針ノ木小屋〜14(8/14)新越山荘〜15(8/15)キレット小屋〜16(8/16)唐松岳頂上山荘〜17、18(8/17、18)白馬鑓温泉小屋(連泊)〜19(8/19)白馬山荘〜20(8/20)朝日小屋〜21、22(8/21、22)蓮華温泉(連泊)〜23(8/23)白馬頂上宿舎〜24、25(8/24、25)祖母谷温泉(連泊)〜26(8/26)阿曽原温泉小屋〜27、28(8/27、28)仙人温泉小屋(連泊)
29日目(8/29)池の平小屋宿泊〜30(8/30)長次郎雪渓より早月小屋〜31(8/31)馬場島山荘〜32、33(9/1、2)立山町の民宿(登山靴間違いで連泊)〜34(9/3)大日平山荘〜35(9/4)奥大日経由雷鳥沢ヒュッテ〜36(9/5)立山三山周・回雷鳥ヒュッテ〜37(9/6)剱山莊〜38(9/7)剱岳ピストン雷鳥沢ヒュッテ〜39(9/8)黒部ダム経由・平ノ小屋〜40(9/9)五色が原〜41(9/10)スゴ乗越小屋〜42、43(9/11、12)太郎平小屋(雨で連泊)〜44(9/13)黒部五郎小舎〜45、46(9/14、15)双六小屋(連泊)〜47(9/16)槍ヶ岳山荘〜48(9/17)北穂高小屋〜49(9/18)穂高岳山荘(前穂高岳往復)〜50(9/19)西穂山荘〜51(9/20)上高地明神館〜52(連泊)〜53(9/22)霞沢岳往復・明神館(3泊)〜54(9/23)やまのひだ屋(雨天)〜55(9/24)蝶が岳ヒュッテ〜56(9/25)常念小屋〜57(9/26)大天井ヒュッテ〜58(9/27)燕山荘〜59(9/28)餓鬼岳小屋、60日目(9/29)〜紅葉ノ滝〜大凪山〜白沢三俣下山口。
総日数60日、総歩行距離444.2Km.。無事故の安全登山、田中さん本当にお疲れさまでした。

 ★★2008年8月12日、一人の若者が幕営申し込みをした。住所をみると岩手県盛岡とあった。私と出身県が同じなので親しく話しかけると、大学生とのことだった。
 ここまでどのルートで来たのとか聞いたら、休学をし、4月2日に鳥海山をスタートに出発したという。そして登った山名を、次から次へと告げた。朝日岳、飯豊山、会津駒、谷川岳、苗場山、白馬岳・・・。そして、最終目的地は屋久島の宮之浦岳だと答えた。出発してから、池の平に着くまで4カ月以上経っていた。ズボンやザックも綻び、ひげも伸びていた。顔は陽に焼け黒ずんでいたが目は精悍に輝いていた。ビールやオレンジを差し入れした。二人のお客さんはタバコをカンパした。翌朝、力強い足取りで、池の平山経由で北方稜線から剱岳に向かった。

 8月の末かに山岳警備隊から問い合わせがあった。ご両親から連絡が取れないから捜索依頼が出されたらしい。
 翌年の4月2日、私の差し出した年賀状を手がかりに、そのお母さんからお電話があった。お話しでは、どうやら、北鎌尾根を目指していたらしい。足取りは、黒部五郎から湯俣の辺までは確認できたが、それから先は、長野、富山両県警の捜索でも不明のことだった。
 そのあと、彼の辿った山名を克明に調べてみると、「日本百名山」の山々と合致した。彼は、鳥海山から、日本百名山の山々を登り、歩き繋げて屋久島を目指していた。
 青年の名は加藤君(東北大)といい、彼が不慮の事故に遭わず、屋久島まで歩き通したとしたら、彼から体験談を是非聞きたかった。遭難を信じなかった私は、そのために彼に賀状を差し出したのであったが・・・。★★

                (8)山でウエディング・マーチを
イエ〜イ (*^_^*)
 山で、山小屋で結婚式を挙げるなんて、ロマンチックでいいですね。羨ましくなります。旧小屋時代の昭和44年8月3日、一組のカップルが池の平小屋で結婚式を挙げられました。沢山の山仲間に祝福され、楽しく賑やかな式だったと伺っています。
 それから40年後の昨年(2009)10月10日、そのお二人が久しぶりに訪れるということで、密かに山仲間の皆さんが小屋に集い準備をされました。お客さまにも根回しをし、夕方6時までに食事を終えて頂き、6時からお祝いの宴となりました。ウエルカムマスターは新郎の盟友で、池の平小屋の番頭木下さん、司会はボランテァ頭の冨岡さん、カメラは大棟梁との誉れ高い亀さん、ケーキ作りは若き日池の平小屋で働いた経験のある八千代さん、飾り付けのセッテイングと料理は岡山からの応援団の中村さん。主役は蛍雪山岳同志会の加藤御夫妻。その他にお客さま8名様にも同席して頂き、賑やかなルビー婚となった。何も知らないで登ってきたお二人は、驚きとともに、40年前に還り笑みをいっぱい浮かべていた。祝するように、翌朝の八峰は白いものを美しくまとい、さりげなくたっていた。

 池の平小屋で結婚式を挙げたお二人がもう一組ありました。2003年(H15)8月14〜15日に、前の管理人の新井さんご夫妻も、新装になった現在の小屋で挙げられました。奥様は立山神社でアルバイト後、池の平小屋まで登山に来てそこで運命の赤い糸が結ばれました。新井さんは高知の土佐アルパインクラブのメンバー、高知からいごっそう、はちきんやお客様や常連さんなどが沢山集い大変賑やかだったと聞いています。この時は式用の洋服やケーキなども担ぎ上げられたようです。
 現在は宮城県にお住まいで、二人の女の子に恵まれ、お幸せにお暮らしのようです。

 もう一組紹介します。2007年8月17日、ひと家族が幕営されました。お父さん、お母さん、二人の高校生の息子さんの4名パーティで井上さんといいました。
 前日は家族で剱岳に登られたそうです。井上さんご夫妻は20年前に剱岳の山頂で結婚式を挙げられたそうで、子供も大きくなり、ひとつの節目を刻みにと、こられたようでした。受付の娘(こ)からこのお話しを聞き、”ビールと天ぷら”を祝福に持ってゆくと、お母さんは笑みを浮かべ「長男の名前は穂高、次男は剣といいます」と、子供さんたちを紹介した。二人とも山が好きで、お兄ちゃんは高校の山岳部の部長をしているとのことだった。
 「子供も大学に行き、山岳部に入ったら、ここにも来るかも知れません、その時はよろしくお願いします」実直なお父さんはこう述べた。お母さんを中心に、記念写真を撮られている光景をみて、清々しさに満ちた素敵なご家族だなあ〜と感じた。
(*^_^*)

                (9)山でのわすれもの
・・・オイオイ、3度も(*^_^*)
 山小屋には忘れ物が付き物のようである。昨秋も下山してから、7名の落とし主に郵送等でお届けした。若い頃山小屋のアルバイトをしていた白馬では、携帯用のテレビとラジオがあったと先輩から聞いて驚いたことがあった。池の平小屋は高価なものはまれで、手拭や靴下が多い。雨の日の混雑後の乾燥室には、各地の温泉名、山小屋名、山岳名の刷られた手拭が主に見捨てられ揺れている。これは、大変地理の勉強になるが処理に困ってしまう。小屋も、お土産用の手拭を作りたいと考えているだけに、お客さんが”参考にしなさいと見本に置いてゆくのだ”という視点で、忘却の沙汰のタオルに親しんでいる。
 2007年秋に、地元富山の登山者Tさんがブラット宿泊した。ノンビリした気風が心地よく、その晩は魂胆あい照らしたが、なぜか雨具を忘れていった。早速お電話を入れたら、「来年また行きますからそのままリザーブして」、となった。<彼のH/P・初老の細道にこの件が>クリック
 
 翌年の9月23日に、件のTさんお酒の友を持参し、お言葉どおりやってきた。早速、「忘れてはイカン」と思い、彼の雨具を何時でも渡せるようにと帳場のカウンターの上に置いた。その晩はマーマァの込み具合でバタバタしているうちに、私の頭の中からは彼の雨具は消えていた。そして渡したと錯誤してしまった。朝、「菊池さん雨具は」、カウンターの上を見たら無いので「あれ、昨日渡さなかった」、「あれ、そうだったかな」、彼も記憶の那辺が私と同じ構造なのか、ザックの中を軽く探しながら「どこへ入れたかな」と呟いた。「どこか隅の方に入ったんだよ、探しいるときて見つからないだよね」。「そうか、じゃー、また来ます」。彼が帰ったあと帳場を片付けていたら、ナイロン袋に入った雨具が下に落ち、椅子の下に隠れていた。一瞬ドーッと冷汗が湧き出てしまった。その後モンロー会の「はっぱさん」が来たので、小さな小包にお詫びの手紙を入れて投函を頼んだ。

 ところがである、2度有ることは、3度あるという諺が現実となってしまった。
昨年の9月21日、シルバーウィークで賑わう池の平小屋に、また、Tさんが山海の珍味を持参して出勤してきた。この夜は、常連さんなども多く、歓談がひときは弾んだ。<歓談のようすはここをクリック
 そして、翌日何事もなかったように、ボランテァの女史をエスコートして帰っていかれた。
 実は、前日午後から夜まで新品の雨具(上着)が乾燥室横の椅子に載ったままだった。テントの方、か通りがかりの方の忘れ物かと訝かい、就眠前に乾燥室の入り口に移動した。そして、翌日の昼になっても誰も取りに来る人もいなく、問い合わせもなかった。数日間気になっていたが、思い切ってTさんに電話してみた「雨具忘れなかった」。「忘れました、格好悪くいえなくて・・」。
 私は考えました。なぜTさんは毎回、雨具を忘れるかと。そして、気づきましたTさんは晴れ男だから雨具を忘れるのだと。そこで、返却の雨具の中に、こんど帰るときは、雨が降るようにと書いた手紙を挟み込んだ。

2の1、2014年の池ノ平小屋の状況(未完)

 宿泊者の男女比>  男性68.3 %・女性31.7 %
      <宿泊者の平均年齢> 男性 歳・女性 歳(男女混合 歳)
    
     <テント者の男女比>  男性83.1 %・女性16.9 %
     <テント者の平均年齢> 男性 歳・女性 歳(男女混合 歳)

    <北方稜線通過者の内訳>
      宿泊者40.7%、 テント者25.4%

2の2、2013年の池ノ平小屋の状況(未完)

 宿泊者の男女比>  男性68.3 %・女性31.7 %
      <宿泊者の平均年齢> 男性 歳・女性 歳(男女混合 歳)
    
     <テント者の男女比>  男性83.1 %・女性16.9 %
     <テント者の平均年齢> 男性 歳・女性 歳(男女混合 歳)

    <北方稜線通過者の内訳>
      宿泊者40.7%、 テント者25.4%

2の3、2012年の池ノ平小屋の状況(未完)

 宿泊者の男女比>  男性68.3 %・女性31.7 %
      <宿泊者の平均年齢> 男性 歳・女性 歳(男女混合 歳)
    
     <テント者の男女比>  男性83.1 %・女性16.9 %
     <テント者の平均年齢> 男性 歳・女性 歳(男女混合 歳)

    <北方稜線通過者の内訳>
      宿泊者40.7%、 テント者25.4%


2の4、2011年の池ノ平小屋の状況(7〜9月末間)

 宿泊者の男女比>  男性 68.0%・女性 32.0%
      
<宿泊者の平均年齢> 男性 56.3歳・女性 56.2歳(男女混合 56.2歳)
    
     テント者の男女比>  男性 84.2%・女性 15.8%
     <テント者の平均年齢> 男性 46.2歳・女性40.8歳
(男女混合 43.5歳)

    <北方稜線通過者の内訳
      宿泊者34.9%、 テント者29.6%

2の5、2010年の池ノ平小屋の状況(7〜10月間)
   
宿泊者の男女比>  男性 72.7%・女性 27.3%
      
<宿泊者の平均年齢> 男性 58.4歳・女性 54.3歳(男女混合 57.3歳)
    
     テント者の男女比>  男性 77.3%・女性 22.7%
     <テント者の平均年齢> 男性 47.0歳・女性41.1歳
(男女混合 45.7歳)

    
<北方稜線通過者の内訳
      宿泊者41.5%、 テント者21.9%

2の6、
2009年池ノ平に逗留された方の年齢構成は。
        宿泊者の男女比、男性 71.3%・女性 28.7%


      宿泊者の年齢構成     テント泊者の年齢構成

宿泊男性(% 宿泊女性(%) テント男性(%) テント女性(%)
10歳代 1.3 0 00.7 0
20歳代 0.4 3.1 10.3 14.2
30歳代 8.9 15.4 14.7 22.9
40歳代 11.9 18.6 25.7 28.6
50歳代 30.9 26.8 32.4 22.9
60歳代 39.0 33.0 16.2 11.4
70歳代 7.6 3.1 0 0
最小年齢者 14歳 27歳 19歳 20歳
最高齢者 79歳 72歳 69歳 68歳

 尚、宿泊者の平均年齢は54.7歳(男性56.2歳、女性51.1歳)、テント泊者の平均年齢46.4歳(女性43.5歳、男性47.0歳)
 昨年は、7月4日の小屋明け入山から、お盆直前まで、晴天率2〜3割で、その間登山者も極端に少ないシーズンだった。2007年9月と、10月に映画「剱岳・点の記」の撮影隊が剱沢より、9時間も掛けて池の平小屋にやってきた。そして、2009年6月めでたく完成上映となった。私的なことになるが、2007年10月、小屋締め後、立山町の芦峅と岩峅の2ヵ所で撮影シーンを真近かに拝見し、2009年2月2日の試写会に妻と招かれた。そして、劇上公開は6月22日超満員のなか鑑賞した
 
 そのようなことで、ここ3年余り映画「剱岳・点の記」漬けであった。その余韻の覚めやらぬ昨年の10月6日、突然ムービーの香りがやってきた。 俳優の”仁科貴さん”はじめ、照明部の岡本さん、美術部セカンドの神田さん、録音技師の石寺さん、それにガイドの指崎さんの5名が前触れもなく、暮れなずむころ「お久しぶりです、お変わり有りませんか」と、岡本さんの挨拶でやってきた。大好きな、映画屋さん達の登場であった。その夜は、たまたま泊り客ゼロため貸切状態となり、旧友との再会のように、酒あり、ケーキあり(岡本さんの背による)、そして、仁科さんのナイス挨拶とチン芸、さらに歌集を手にと、歓談大いに盛り上がった。そして、昨年11月15日「剱岳・撮影の記」の公開日、新宿の映画館のロビーでまた東映の皆さんとお会いすることなった。
<北方稜線通過者の内訳>
 宿泊者34.2%  テント者 

  2の7、2008年池ノ平に逗留された方の年齢構成は。
           宿泊者の男女比、男性 70.3%・女性 29.7%


          宿泊者の年齢構成      テント泊者の年齢構成

宿泊男性(% 宿泊女性(%) テント男性(%) テント女性(%)
10歳代 0 0 0 0
20歳代 1.4 6.7 21.8 24.3
30歳代 8.9 11.1 16.9 24.3
40歳代 11.7 22.2 24.6 16.2
50歳代 36.2 35.6 26.8 32.4
60歳代 38.8 22.2 9.9 2.7
70歳代 5.2 2.2 0 0
最小年齢者 23歳 24歳 19歳 20歳
最高齢者 77歳 74歳 68歳 63歳

 2の8、2007年の年齢構成は(宿泊者のみ

10歳代、0.7% 20歳代、5.2% 30歳代、23.6% 40歳代、33.9%
50歳代、25.3% 60歳代、10.6% 70歳代、0.7% 80歳代、0%

       なお、宿泊客の男女比は、男性は72.8%、女性27.2%です。

  2の9、<テント泊者数の推移>

2006年 男性  76名(76.8%) 女性 23名(23.2%) 合計 99名
2007年 男性 114名(79.7%) 女性 29名(20.3%)    143名
2008年 男性 142名(79.3%) 女性 37名(20.7%)    179名
2009年 男性 224名(82.3%) 女性 48名(17.7%)    272名
2010年 男性 117(77.5%) 女性 34名(22.5%)    151
2011年 男性       名(%) 女性     名(%)       名

 

 3、都道府県別、池の平逗留者数(宿泊者とテント泊者の合数)
                        2009年>

1.東京都、118名 2、愛知県、62名 3、神奈川県、56名 4、大阪府、52名 5、富山県、  39名
6、埼玉県、27名 7、長野県、26名 8、茨城県、 25名 9、千葉県、22名 10、岡山県、 13名
11、兵庫県、12名 12、京都府、 12、静岡県、  12.石川県、 15.群馬、広島、

 この後は、高知県、岩手県、北海道、滋賀県、岐阜県、広島県、鹿児島県、新潟県、福岡県と続く。
 また、昨年は、フランス人2名、イギリス人(上海在住)1名が逗留された(韓国の方1名、ユックリ休憩)。尚、ボランテァ(モンロー会)の皆さんの延べ数は81人と、池の平小屋はボランテァの皆さんのご協力で支えられていることが分かる。ありがとう。
                        <2008年>

1.東京都、88名 2、神奈川県、64名 3、大阪府、50名 4、富山県、34名 5、埼玉県、 23名
6、長野県、21名 7、愛知県、20名 8、兵庫県、 17名 8、福岡県、17名 10、広島県、16名
10、京都府、16名 12、千葉県、14名 13、群馬県、  13.山梨県 13、石川県、 

 この後は、岩手県、静岡県、滋賀県、奈良県、新潟県、熊本県、三重県、山形県、宮城県と続く。
                <2007年>

1.東京都、123名 2、愛知県、73名 3、神奈川県、51名 4、大阪府、41名 5、富山県、 38名
6、長野県、29名 6、兵庫県、28名 8、埼玉県、 26名 9、千葉県、19名 9、静岡県、 19名
11、京都府、15名 12、広島県、13名 13、石川県、 10名 14.岡山県、滋賀県 高知県、    

 この後は、群馬県、三重県、鹿児島県、岐阜県、新潟県、大分県、鳥取県、茨城県、が続く
 この年は、前年度に簡易トイレが飛ばされた教訓を生かし、半恒久的なトイレを、ボランテァの皆さん、お客さんの皆さんの力を借りて素人建築で建てた。
 この年は撮影隊の当たり年で、8月15日、NHKの「小さな旅の」撮影隊5名が宿泊、小屋周辺で撮影された。尚、この時、2名いたカメラマンの内おひとりは、池の平を気に入って頂き、10/11日と翌年7月も再訪した(その後、北海道に転勤)。
 秋、9月26日昼、東映撮影所”木村組”総勢26名が「剱岳・点の記」の撮影のためおとずれた。撮影は天候に恵まれ順調に進捗し、翌、27日の昼前に次のロケ地に向かわれた。さらに、池の平周辺の紅葉を撮影すべく、カメラマンと助手、ガイドさん4名が、10月7〜9日まで滞在、真紅の裏剣をレンズに納めた。
                         <2006年>

1.大阪府、40名 2、東京都、36名 2、埼玉県、36名 4、兵庫県、27名 5、福岡県、 20名
6、神奈川県、16名 7、富山県、14名 8、静岡県、 13名 9、茨城県、12名 10、京都府、 11名
11、愛知県、10名 12、千葉県、 13、広島県、  14.岡山県、山梨県  宮城県   

 この後は、岐阜県、石川県、新潟県、沖縄県、北海道、奈良県、熊本県、長野県、滋賀県、鳥取県、群馬県、滋賀県と続く。
 この年は梅雨明けが異常に遅い上に、正規の管理人が常駐出来なかったことや、10月7〜8日は未曾有の天候で、白馬岳などでは大惨事が発生と、大変な年だった。池の平小屋でもこの二日間の荒れは大変なもので、簡易トイレ二つが吹き飛ばされた。お客さまも全員停滞となった。テントの方も殆ど小屋に逃げ込み、大変な混雑となった。

   ☆○●◎4、〔今年の初雪はいつ〕雪霰霙雷晴曇雨嵐颱雹霜雲霧風雪霰霙雷晴曇雨嵐颱雹霜雲霧雪霰霙雷晴曇雨嵐颱雹霜雲霧雪霰霙雷晴曇雨嵐颱雹霜雲霧

 山屋さんにとって天候の把握は必須命題です。とくに池の平小屋へお泊りのお方は秋の紅葉を愉しみにしている方が多いので、初雪情報も気になるところです。そこで、古い宿帳を探しお天気欄に書いてある、初雪日を調べてみました。みなさまの山行の目安となれば幸いです。

@まず参考までに、気象庁のホームページのデータを列記してみます。
 (1)、立山の平均初冠雪日は10月9日となっています(1971〜2000年の平均値)。
 (2)、ちなみに、富山市内の初冠雪日は11月28日、終雪日は3月30日となっています。また、日本の山岳の目安である、富士山の平均初冠雪日は9月14日となっていました。


A次に、池の平小屋の宿帳に記載されている降雪情報を転記します。
 (1)昭和53年10月6日初雪。(2)昭和56年9月14日初雪。(3)昭和57年10月6日初雪。(4)昭和58年10月7日初雪(9月16日あられ降る)。(5)昭和60年10月8日吹雪(10月18日小雪舞う)。(6)昭和61年、62年、63年は10月13日まで降雪なし(営業中)。(7)平成元年10月8日初雪。
 (8)平成18年10月7〜8日吹雪。(9)平成19年10月14日初雪。(10)平成20年9月27日初雪。
(11)平 成21年10月10日初雪(立山は前日の9日に初冠雪。尚、富士山は10月7日初冠雪。

12)平成22年は、暖冬予兆か池の平小屋周辺には降雪、結氷がありませんでした。
(13)平成23年は、10月2日池の平小屋周辺に初冠雪がありました。
(14)平成24年はどうなるでしょうね。
(15)平成25年は
(16)平成26年は

                5、 〔どこからどこへ〕
 「我々はどこで生まれ、どこへ行くのか」、どこかで聞いたフレーズですが、そこまで深刻にならなくても、現実的に、池の平小屋に宿泊された登山者のみなさまは、どのルートを歩いて池の平に着いたのか、翌日はどのコースを歩かれ帰られるのか、宿帳から探ってみました。
                       <2009年>
                   *どのルートできたの(前泊地)*
(1)剱沢から、50.7%。(2)剱沢から剱岳、北方稜線経由10.8%。(3)室堂から9.4%。(4)仙人ダムから8.0%。(5)真砂沢から、7.6%。(6)阿曽原温泉小屋から、4.9%。(7)赤谷から(北方稜線)、2.4%。(8)仙人温泉から、1.7%、(8)馬場島から大窓経由、1.7%。(10)黒四ダムから、1.4%。(11)早月小屋から、0.7%。(12)一の越から、0.3%。
北方稜線経由の登山者の割合は16%。

                   どのルートで帰るの
(1)阿曽原温泉小屋へ、20.0%。(2)剱沢へ、16.7%。(3)北方稜線〜剱岳〜剱沢へ、15.8%。(4)黒四ダムへ、10.1%。(5)真砂沢へ、7.4%。(6)仙人ダムへ、7.1%。(7)室堂へ。(11)欅平へ、2.6%。(12)小黒部谷〜欅平へ、2.3%。(13)仙人池ヒュッテへ、1.6%。(14)祖母谷温泉小屋へ、1.0%。(14)大窓〜馬場島へ、1.0%。
北方稜線経由で向かわれた登山者の割合は21.9%。


                     <2008年>
                *どのルートできたの(前泊地)*
(1)剣沢より、44.9%。(2)真砂沢より、17.6%。(3)剱沢〜剱岳〜北方稜線経由、11.6%。(4)阿曽原温泉小屋より、7.0%。(5)仙人温泉小屋より、4.3%。(6)室堂より、3.7%。(7)黒四ダムより、3.3%。(8)早月小屋より、2.3%。(9)馬場島〜池ノ谷経由、1.3%。(9)赤谷より、1.3%。(11仙人池ヒュッテより、1.0%。(12)馬場島〜大窓経由、0.7%。(13)内蔵之助より、0.3%。(13)三ノ窓より、0.3%。(13)大日より、0.3%。
往路の北方稜線通過の登山者の割り合いは17.6%
                  どのルートで帰るの
(1)阿曽原温泉小屋へ、33.2%。(2)黒四ダムへ16.9%。(3)北方稜線経由、剱岳〜剱沢へ16.3%。(4)室堂へ、6.1%。(4)真砂沢へ、6.1%。(6)剱沢へ、5.8%。(7)仙人温泉へ、4.4%。(7)仙人池ヒュッテへ、4.4%。(9)剱岳〜早月小屋へ、3.7%。(10)欅平へ、2.0%。(11)北方稜線経由、真砂沢へ、0.7%。(12)内蔵之助へ0.3%。
池の平から北方稜線に向かわれた登山者の割合は20.7%。

                      <2007年>
                   どのルートできたの(前泊地)*
(1)剱沢から、58.7%。(2)剱沢〜剱岳〜北方稜線経由から、17.3%。(3)阿曽原温泉から、9.2%。(4)真砂沢から、6.1%。(5)仙人温泉から、2.8%。(6)黒四ダムから、2.2%。(7)室堂から、1.4%。(8)早月小屋から、1.1%。(9)馬場島〜大窓経由から、0.8%。(10)赤谷から、0.3%。
北方稜線経由からの登山者の割合は19.6%。

                    どのルートで帰るの
(1)阿曽原温泉へ、36.1%。(2)黒四ダムへ、16.5%。(3)剱沢へ、12.4%。(4)北方稜線経由、剱沢へ、11.3%。(5)真砂沢へ、9.9%。(6)仙人温泉へ、2.8%。(6)仙人池ヒュッテへ、2.8%。(8)北方稜線経由、早月小屋へ、2.5%。(9)室堂へ、2.2%。(10)大窓経由、馬場島へ、1.4%。(11)欅平へ、0.8%。(11)北方稜線経由、真砂沢へ、0.8%。(13)内蔵之助へ0.6%。
池の平から北方稜線に向かわれた登山者の割り合いは17.8%。



   6、〔なつかしい、昭和の時代の池の平は〕

 ここでも、古い、古い、カビの匂いのする宿帳をひっくり返し、興味の趣くまま数値化してみた。
                      <昭和53年編>
(1)宿泊者の男女比、男性89.7%。女性10.3%と圧倒的に男性が多いです。
(2)パーティの人数構成、単独52.7%。2名28.1%。3名7.8%。4名6.4%。5名2.8%。6名1.1%。8名、9名、11名、各0.4%。

(3)単独行者の男女比、男性92.9%。女性7.1%。これらの数字をみますと、池の平小屋にお泊りの登山者は圧倒的に単独行の男性であることが分かります。
(4)女性パーティの人数構成、単独44.9%。2名27.6%。3名10.3%。4名17.2%。
(5)素泊まり者率は13..6%で、その男女比は、男性93.8%、女性6.2%となっています。
(6)天候情況の内訳。快晴8日。晴れ12日。晴れのち曇り、ガス10日。曇り11日。曇りのち雨5日。雨8日。曇り時々雨1日。雨のち曇り2日。雪2日。但し、18日間は不明。この数字をざっと眺めてみますと、晴れ率35.6%。曇り率33.9%。降雨率27.1%。降雪率3.4%となり、雨具の使用率は3割程度と推定されます。
               この年の宿泊料は以下のようになっています。
米あり(当時は、お米持参の制度もありました)、1食3000円。2食3400円。3食3800円。
米なし、1食3200円。2食3800円。3食4300円。素泊まり2500円。弁当500円。昼食700円。

                   
 <昭和56年編>
(1)宿泊者の男女比、男性79.4%。女性20.6%と圧倒的に男性が多いです。
(2)素泊まり者率、14.6%。
            この年の宿泊料は以下のようになっています。
米あり、1食3200円。2食3800円。3食4300円。
米なし、1食3700円。2食4300円。3食4900円。素泊まり2800円。弁当600円。昼食800〜1000円。

                       <昭和57年編>
(1)宿泊者の男女比、男性87.4%。女性12.6%と圧倒的に男性が多いです。
(2)素泊まり者率、20.9%。
         この年の宿泊料は以下のようになっています。
米あり(当時は、お米持参の制度もありました)、1食3200円(2合)。2食3800円(4合)。3食4400円(5合)。
米なし、1食3800円。2食4400円。3食5000円。素泊まり2800円。弁当600円。昼食800〜1000円。

                       <昭和58年編>
(1)宿泊者の男女比、男性81.4%。女性18.6%と圧倒的に男性が多いです。
(2)男女の年齢構成、男性33.4歳。女性32.1歳(但し、リーダー及び代表者の年齢)。
(3)素泊まり者率15.9%。
          この年の宿泊料は以下のようになっています。
米なし、1食4000円。2食4800円。3食5400円。素泊まり3000円。弁当600円。昼食800〜1000円。

                        <昭和59年編>
(1)宿泊者の男女比、男性80.9%。女性19.1%と圧倒的に男性が多いです。
(2)男女の年齢構成、男性35.1歳。女性35.9歳(但し、パーティ代表者の年齢)。
(3)素泊まり者率、
           
                        <昭和60年編>
(1)宿泊者の男女比、男性84.2%。女性15.8%と圧倒的に男性が多いです。
(2)男女の年齢構成、男性36.4歳。女性34.9歳(但し、パーティ代表者の年齢)。
(3)素泊まり者率、18.0%。
           この年の宿泊料は以下のようになっています。
1食4200円。2食5000円。素泊まり3500円。弁当700円。昼食800〜1000円。

                        <昭和61年編>
(1)宿泊者の男女比、男性82.62%。女性17.4%と圧倒的に男性が多いです。
(2)男女の年齢構成、男性38.8歳。女性34.2歳(但し、パーティ代表者の年齢)。
(3)素泊まり者率、12.7%。
           この年の宿泊料は以下のようになっています。
1食4500円。2食5500円。素泊まり3500円。弁当700円。昼食800〜1000円。

                        <昭和62年編>
(1)宿泊者の男女比、男性75.3%。女性24.7%と圧倒的に男性が多いです。
(2)男女の年齢構成、男性40.2歳。女性34.6歳(但し、パーティ代表者の年齢)。
(3)アルバイト料金、2500円/日
                       <昭和63年編>
(1)宿泊者の男女比、男性91.3%。女性8.7%と圧倒的に男性が多いです。
(2)男女の年齢構成、男性38.3歳。女性40.4歳(但し、パーティ代表者の年齢)。
(3)素泊まり者率21.1、%。
(4)この年のアルバイト賃金、2500円/日
           この年の宿泊料は以下のようになっています。
1食4500円。2食5500円。素泊まり3500円。弁当700円。昼食800〜1000円。

                     <平成元年(昭和64年)編>
(1)宿泊者の男女比、男性87.3%。女性12.7%と圧倒的に男性が多いです。
(2)男女の年齢構成、男性42.5歳。女性40.6歳(但し、パーティ代表者の年齢)。
(3)テント泊者の男女比、男性89.4%(227名)。女性10.6%(27名)。
(4)テント泊者の平均年齢、29.9歳。
(5)テント泊者のパーティ構成。学生48.4%。大学山岳部10.2%。社会人山岳会9.4%。単独行者17.3%。その他14.6%。
(6)単独行者の内訳。一般登山者75.0%。社会人山岳会所属13.6%。学生で山岳部所属11.4%。
(7)この年の初雪10月8日。
(8)この年のアルバイト者への賃金、3000円/日
(9)この年で、旧小屋の営業は田中管理人の病気、さらに追い討ちをかけるように小屋が倒壊し営業は終了した。

           この年の宿泊料は以下のようになっています。
1食5000円。2食6000円。素泊まり4000円。弁当700円。昼食1000円。



         6の2、 昭和の時代を総括すると ♪おれは川原の枯れススキ
 
 但し、一般的なデータの基は昭和53年、56年、57年の宿帳。年齢等のデータは昭和58〜平成元年までの宿帳を基本ベースとして、総和的なものは、昭和53、56、57年のデータを加味して表した。昭和時代の総括と題したが、小屋の歴史上、平成元年までを一区切りとして纏めた。また、データの殆どは宿泊者です。

(1)宿泊者総数.。昭和53〜平成元年までの10年間の宿泊者数は2596名となり、平均すると1シーズンあたり259.6名の登山者がご利用されたことになる。

(2)男女比数は、男性2191名(84.4%)、女性404名(15.6%)と男性が圧倒的に多い。

(3)テント宿泊者数(昭和62〜平成元年迄の3年間の合数)は854名であった(≒285名/年)


(4)宿泊者の年齢構成(代表者のみの男女の合数を表示・カッコ内女性)

昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 N数 割合
10歳代 1名(16歳) 1名(12歳) 0名 0名 0名 0名 2 0.2%
20歳代 44(6) 23(4) 31(6) 21(3) 15 17(2) 161 23.1%
30歳代 61(7) 45(6) 45(8) 48(9) 46(4) 50(1) 295 42.3%
40歳代 17(3) 22(4) 19(4) 26(5) 28(3) 33(2) 145 20.7%
50歳代 8(2) 11(1) 13(2) 9 26 6 73 10.5%
60歳代 0 1 1 4 7 7(1) 20 2.8%
70歳代 0 1(76歳) 1(74)歳 0 0 0 2 0.2%


   (5)宿泊者のご職業は(昭和58〜63年迄の6年。N数687名。尚、26名が未記入)
 一番多いのは会社員392名(57.0%)。2番目が公務員103名(15.0%)。3番目が自営業28名(4.1%)。4番目が学生で23名(3.3%)。5番目は教員で20名(2.9%)。6番目は無職と団体職員で14名(2.0%)。8番目が主婦9名(1.3%)。9番目が自由業5名(0.7%)。10番目ピアノ教師4名(0.6%)。
 それ以降は、郵政、看護婦、NHK職員(3名)。国鉄、大学職員、医師、サービス業、病院職員、呉服商、農業、会社役員が各2名。1名は次のように多彩に亘る(画家、指導員、学校職員、大学講師、歯科医師、民謡教師、工員、獣医、歯科衛生士、特別国家公務員、児童皆童員、中国語教師(中国名の女性)、NTT職員、彫刻師、装飾品製作、施設職員、録音師、針灸師、キャディ、山荘従業員など)。これらは、いずれも当時お客さまが書かれたままに転記した。


   (6)池ノ平小屋の宿泊者を都道府県別に層別してみたら以下のようになった。

昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 N数 割合
東京都 38名 50名 41名 52名 57名 45名 283名 23.7%
大阪府 39 69 33 32 15 20 208 17.4
富山県 15 8 11 11 28 30 103 8.6
神奈川県 21 14 17 17 17 12 98 8.2
愛知県 20 5 4 14 17 11 71 6.0
京都府 13 7 18 9 7 6 60 5.0
兵庫県 17 10 7 10 7 9 60 5.0
千葉県 13 6 7 5 19 5 55 4.6
埼玉県 4 10 6 8 8 4 40 3.4
石川県 4 6 0 2 6 6 24 2.0

 これ以降は、11番目に、長野県、滋賀県、新潟県(15名)、14番目に茨城県、福岡県(12名)、16番目に鹿児島県(11名)、17番目に、岐阜県と奈良県(10名)、19番目に群馬県(9名)、20番目に岡山県と広島県(8名)、その後は、香川県、静岡県、島根県(7名)が続き、25番目に福井県、三重県(6名)、27番目に、高知県、福島県、宮城県(3名)、30番目に北海道、秋田県、山形県、徳島県(2名)、34番目に山口県、栃木県、熊本県と続いた。


     (7)池ノ平小屋までどのルートで来たのかな(前泊地など)。

昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 N数 割合
車中・自宅 6名 11名 9名 7名 3名 42名 3.5%
室堂・雷鳥平(宿泊) 4 7 2 9 27 7 56 4.6
大汝休憩所 0 0 0 1 0 1 2 0.1
剣御前小舎 15 14 14 10 28 13 94 7.8
剱山荘 72 100 43 42 34 44 335 28.1
剣澤小屋・テント場 57 34 41 46 62 68 308 25.8
真砂沢ロッジ、テント場 18 20 15 27 18 16 114 9.5
一の越山荘・五色が原 1 3 0 2 5 1 12 1.0
内蔵助山荘 7 4 1 1 0 0 13 1.1
平蔵の避難小屋 0 0 11 0 2 0 13 1.1
馬場島・大窓.小窓 3 0 1 3 0 1 8 0.7
剱岳〜北方稜線 5 0 3 0 1 1 10 0.8
三ノ窓 0 3 1 3 0 5 12 1.0
伝蔵小屋・現早月小屋 8 5 1 4 6 8 32 2.6
扇沢・黒四ダム 0 2 1 1 1 0 5 0.4
仙人池ヒュッテ 0 0 4 2 0 1 7 0.6
仙人温泉小屋 4 3 0 3 2 0 12 1.0
阿曽原温泉小屋 19 4 21 28 18 14 104 8.7
宇奈月・欅平 1 1 3 1 0 0 6 0.5

 池ノ平小屋には、現在と変わらず剱沢方面(剣御前小舎、剱山莊、剣澤小屋)から来られる方が圧倒的に多い。剱山莊にお泊りの登山者の数パーセントは、剱岳を登頂後、北方稜線コースを経て池の平小屋に着かれた方も含まれる。宇奈月や欅平からの登山者のなかには上部軌道(高熱隧道)を使われた方もいたと推察される(現在は、許可のない方は乗車できない)。
 車中、自宅と書かれた方は富山、石川の方が多い。


         (8)池ノ平小屋からどのルートで帰るのかな(宿泊者)

昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 N数 割合
車中・自宅 6名 8名 10名 2名 2名 0名 28名 2.3%
室堂・雷鳥平 2 0 10 11 3 16 42 3.5
仙人池ヒュッテ 7 9 5 14 15 4 54 4.5
仙人温泉小屋 0 1 0 2 1 1 5 0.4
阿曽原温泉小屋 29 44 42 54 60 54 283 23.7
祖母谷温泉 16 3 0 1 0 0 20 1.6
欅平・宇奈月 86 98 46 52 78 65 425 35.7
黒四ダム・扇沢 9 16 9 5 14 12 65 5.4
真砂沢ロッジ、テント場 8 2 11 9 8 4 42 3.5
剣澤小屋・三田平 25 20 6 8 22 16 97 8.1
剱山莊 3 1 2 12 5 2 25 2.1
剣御前小舎 1 1 0 5 2 2 11 0.9
立山・一の越 1 2 1 1 0 2 7 0.5
北方稜線〜剱岳 9 2 10 3 4 6 34 2.8
伝蔵小屋・現早月小屋 1 0 1 0 2 0 4 0.3
大窓〜馬場島 3 0 0 2 0 0 5 0.4
池ノ平小屋周辺 5 1 2 4 0 0 12 1.0
チンネ・三ノ窓 2 0 0 1 0 0 3 0.2
名剣、鐘釣、黒薙温泉 16 7 0 0 5 0 28 2.3

 雲切り新道が出来た現在、池ノ平小屋から宇奈月、欅平、祖母谷温泉までは工程が長く、よほどの健脚の方でない限り到着が厳しくなったが、この当時は1日で宇奈月まで帰られる方も多かったことが分かる。現在では阿曽原温泉小屋泊りが一般的となった。


         (9)昭和の時代のパーティ構成は(宿泊者)

昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 N数 割合
男性単独 71 57 63 49 50 73 363 52.5%
男性2名パーティ 16 11 10 15 21 19 92 13.3
男性3名パーティ 7 7 5 3 6 3 31 4.5
男性4名パーティ 3 2 2 3 1 0 11 1.6
男性5名パーティ 0 0 0 0 1 0 1 0.1
女性単独 8 6 11 9 4 3 41 5.9
女性2名パーティ 6 4 5 3 5 1 24 3.5
女性3名パーティ 2 0 1 1 1 1 6 0.9
女性4名パーテイ 1 0 0 0 0 1 2 0.2
男女ペアーパーティ 9 6 6 11 6 9 47 6.8
その他のパーティ 11 20 8 13 16 5 75 10.8
N数/Y 134 113 111 107 111 115 691

池ノ平小屋に宿泊される登山者の皆様は殆ど単独行ないし2名パーティであった。

                (10)連泊者はどのくらいいるの(宿泊者)

s53 s56 S57 S58 S60 S61 S62 S62 H元
2連泊者 2名 3名 7名 10名 8名 3名 6名 6名 1名 46名
3連泊者 1 2 3 1 2 1 1 1 1 13
4連泊者 0 0 0 0 0 5 0 3 0 8
5連泊者 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
3 5 10 11 10 9 8 10 2

 2連泊された方は、あらかじめ予定を立ててきた方が多いが、台風や、大雨、降雪に遭遇し急遽連泊された方もいる。あまりの荒天に連泊を重ねて宿泊代を借りて下山したパーティも記録に残されていた。
私も、薄給のサラリーマンを40年近く勤めたので人ごとではないと苦笑してしまった。
 この表を見ると、5連泊される方は稀で、非常に少ないことが分かる。通常の会社員では2〜3連泊がやっとで、その意味では、5連泊が限界なのかも知れない。
 毎日がサンデーという方が増えたといっても、ここ4年ほどの宿帳をみても4連泊された方は数名見えますが、5連泊された方は片手にも満たない。


               7、 さて、平成の時代は、(平成10年迄)
       
                   平成2年(1990)
 この年の幕開けはボランテァ管理からはじまった。昭和27年から池の平小屋を守り、昭和36年棟梁として自ら小屋を建てた田中正雄さんが病に倒れ、田中さんから依託を受けた阿部さん(京都)、池田さん(仙台)、小野さん(郡山)と通行人の菊池(愛知)が池の平小屋に着いてみると、小屋は雪での被害甚大で半壊状態だった。小屋内の修理と、外から突かっえ棒でなんとか住めるように是正を図った。夏場やむなくテント場の管理と、少しばかりの売品を販売し乗り切った。
@この年の幕営者232名(営業期間・7月24日〜8月30日)
                   
                      平成3年(1991)
 この年の時期は不明だが、旧池の平小屋の大屋根が小黒部谷に吹き飛ばされてしまった(読売新聞の空撮で報じられた・平成3年6月20日付)。小屋と運命をともにするように9月に田中正雄さんが旅立った(享年61歳・朝日新聞富山版の平成3年9月19日に5段と大きく報じられた)。
@この年は営業活動なし。9月末、壊れた小屋の前にテントを張り、日本酒で暖をとりながらオーナと2人で再建会議をおこなう。

                  平成4年(1992)
 再建の烽火が揚る。
 8月、米澤オーナーはじめ3名のボランテァ(京都の阿部さん、横浜の曽我さん、愛知の菊池)で旧小屋の残材片付け、借り小屋設置(菊池ハウス)。建築資材・食糧などヘリで4便ほど荷揚げ。復興の端緒となる。
 9月、愛知の茜山岳会の村上さんのメンテでエンジンが初めて回り、池の平小屋に初めて文明の明りが灯る。一緒に翌年から再建を担う群馬県前橋市の金井棟梁も下見に入山。
@この年は営業活動なし。

                     平成5年(1993)
 群馬の金井棟梁のもと基礎工事が始まる(この年は基礎工事のみ)。前後して旧小屋の残材片付けをオーナーと二人でおこなう。梁材など大変重く、二人でやっと動く状態で、口を動かすのも辛く無言で黙々と運んだことなどが思い出される。
@この年営業活動なし。7月17日一人の登山者(香川県の36歳の男性)フラフラと池の平山から降りてくる。馬場島から白萩に入ったらしいが、道に迷い食糧も食べつくし、池の平山でビバークしたことを憔悴切った顔で話された。降雨中だったが、ビバーク中夜を徹して残材(布団)を燃やしていた明りに励まされたとのこと、食料を与え無事な下山を祈った。

                     平成6年(1994)
 9月末、宿泊棟完成。宿泊棟建設しながら、大工さん達がテント場の管理も行なう。北日本新聞の平成6年12月9日付の「近代化ものがたり」の差込写真に新築なった池の平小屋が大きく載せられた。また環境行政の指摘で、たくさんのボランテァの皆さんが集い、小黒部谷に吹き飛んだ旧小屋の屋根を拾い集め、小屋横まで荷上げした(旧小屋は大きかっただけに、トタンの量が多かった)。
 宿泊棟完成ということで、紅葉シーズンに備えて、9月26〜30日愛知のモンロー会(茜山岳会のメンバーの村上、吉澤、辻井、岡戸、菊池)の5名ボッカ登山。日本酒2本(2升)、ビール2ケース、缶コーヒ1箱、ウィスキー、野菜、おつまみ、などなど2日渡り阿曽原往復で荷揚げをする。紅葉と素晴らしい銀河の瞬きに池の平の良さを再確認した。
@営業活動
<宿泊棟建築中>7月15日〜8月30日
<宿泊棟完成後>10月3日より10日までオーナー等入山
<幕営者数>  男性221名、女性27名、合計258名。<男女比>男性、85.7%、女性14.3%
<幕営者の代表者の平均年齢>男性30.5歳、女性28.8歳。
☆★池の平、裏剱といえば秋の紅葉がひときは際立つ景色だが、10月3〜10日までの8日間に素泊まりの方15名、幕営者42名が池の平に訪れ愉しんだ。

                     平成7年(1995)
 宇都宮出身の新井さん(20歳代後半)、戦後2代目の管理人に就任。
@復興1年目の営業活動
<宿泊者数>85名、男性60名、女性25名、<夫妻パーティ数>5パーティ。
<男女比>男性70.6%、女性29.4%。
<幕営者>男性33名、女性6名。<夫妻パーティ数>2パーティ。
<幕営者の男女比>男性84.6%、女性15.4%。

                     平成8年(1996)
復興2年目の営業活動
 <
幕営者187名。
                     平成9年(1997)
管理棟(台所兼売店)完成。群馬県の上毛新聞(平成9年2月23日付)に「3年かけ山小屋再建」の見出しで、サブタイトル「前橋の大工金井さんら、山仲間の情熱に賛同」と大きく報じられた(金井さん親子のお写真と、新築なった小屋の写真が載った)。
@復興3年目の営業活動
<宿泊者総数>207名、男性176名、女性31名。<宿泊者代表者の平均年齢>男性40.5歳、女性40.3歳。
<男女比>男性85.0%、女性15.0%。
<幕営者総数>70名。

                     平成10年(1998)
@復興4目の営業活動
<宿泊者数総数>102名。<代表者の年齢>男性49.4歳、女性45.7歳。<男女比>男性84.7%、女性15.3%。<男性の年少・年長>年少者23歳、年長者75歳。<女性の年少・年長>年少者28歳、年長者57歳。
<幕営総数>118名。

                  平成の項、とりあえずここまでで終了。

     8、幕営申し込み帳からみる登山者の組織実態

 宿泊者名簿・幕営申し込み帳をまとめていて気が付いたことは、山岳部や山岳会などに所属されている方が少なくなって来ていることでした。幕営申し込み帳は一部しか手元にないが、確認の意味もあり実情を見てみる。プライバシーに触れないと思うので山岳会名は実名で記載する。黄色=高校の山岳部など、黒色=大学山岳部など、青色=社会人山岳会などを示す。
 また、幕営申込書や、宿泊申込書に所属会名欄があったのは、1989年だけです。そのような事で山岳会などに入会されていても書かない登山者の方も沢山いる事も考えられ、ここに書いたもの100パーセントとは言い切れません。
 また、近年は宿泊の方で山岳会に入会されている方が増加する傾向があり、特定できる範囲内で紹介を致します。

                   <1989年、平成元年>
7/22、下関市立大学ワンダーフォーゲル部、5名(男性のみ)、阿曽原〜池ノ平〜剱岳、槍穂高まで
7/23、山口大学ワンダーフォーゲル部、6名(男性のみ)、阿曽原〜池ノ平〜剱岳
7/23、同志社高校ワンダーフォーゲル部、6名(男性のみ)、剱沢三田平〜池ノ平〜欅平
7/24、岡山大学山岳部、4名(男性のみ)真砂沢〜池ノ平〜真砂沢
7/24、東京工業大学渓友会1名(男性)、剱沢〜池ノ平〜欅平
7/24、鳥取大学医学部ワンダーフォーゲル部、3名(男性のみ)、阿曽原〜池ノ平〜剣澤
7/25、山形大学山岳部、4名(男性のみ)、阿曽原〜池ノ平〜真砂沢
7/27、國學院大學體育聯合會エーデルワイス山乃會、3名(男性のみ)、真砂沢〜池ノ平〜真砂沢
7/27、栃木山岳会、2名(男女1名づつ)、剱沢〜池ノ平〜欅平
7/27、福井山の会、1名(男性)、室堂〜池ノ平〜剱沢

7/29、九州芸術工科大学、5名(男性のみ)、剱沢〜池ノ平〜欅平
7/31、小松川山の会、3名(男性2名、女性1名)、阿曽原〜池ノ平〜剣澤
7/31、茅場町山岳会、5名(男性のみ)、剣澤〜池ノ平〜欅平

8/1、日本獣医畜産大学ワンダーフォーゲル部、14名(男性13名、助成名)、剣澤〜池ノ平〜欅平
8/2、明治大学エーデルワイス山岳会、7名(男性のみ)、阿曽原〜池ノ平〜剣澤
8/3、横浜労山、3名(男性のみ)、剣澤〜池ノ平〜欅平
8/3、桂高校山岳部、8名(男性6名、女性2名)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
8/5、北九州市役所山岳部、2名(男女各1名)、剣澤〜池ノ平〜欅平
8/7、トム・ソーヤ、2名(男性のみ、学生)、剣澤〜池ノ平〜欅平

8/9、名古屋電気通信工学院、9名(男性のみ)、阿曽原〜池ノ平〜剣澤
8/9、長崎南部勤労者山岳会、2名(男性のみ、学生)、赤谷山〜池ノ平〜剱岳
8/11、N,B,C、1名(男性)、阿曽原〜池ノ平〜欅平
8/11、日本山岳会、1名(男性)、夜行〜池ノ平〜剣澤
8/11、川崎市役所山岳会、5名(男性4名、女性1名)、小黒部谷〜池ノ平〜剱岳
8/12、TVN山の会、1名(男性)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
8/13、東芝山岳会・柳町、3名(男性のみ)、赤谷山〜池ノ平〜阿曽原
8/13、豊中勤労者山岳会、1名(男性)、早月小屋〜池ノ平〜欅平

8/13、名城大山岳部、2名(男性のみ)、祖母谷〜池ノ平〜三ノ窓
8/14、新大探検部、1名(男子)、剣澤〜池ノ平〜欅平
8/14、長野ワンゲル、2名、2名(男子のみ)、真砂沢〜池ノ平〜剱岳
8/14、新宿勤労者山岳会、6名(男子4名、女子2名)、阿曽原〜池ノ平〜剱岳〜剣澤
8/14、西陣山岳会、3名(男子のみ、学生)、赤谷山〜池ノ平〜剱岳〜剱沢
8/14、神戸山岳会、4名(男子3名、女子1名)、阿曽原〜池ノ平〜三ノ窓

8/15、日大歯学山岳部、2名(男子のみ)、真砂沢〜池ノ平〜三ノ窓
8/15、千葉工業大学山岳部、4名(男子のみ)、阿曽原〜池ノ平〜真砂沢
8/15、アルペン労山、4名(男子2名、女子2名)、剣沢小屋〜池ノ平〜真砂沢
8/15、SNC,1名(男子)、剣沢小屋〜池ノ平〜欅平

8/20、鹿児島大学山岳部、2名(男子のみ)、三ノ窓〜池ノ平〜欅平
8/20、大阪府立大学山岳部、2名(男子のみ)、剣澤〜池ノ平〜欅平
8/21、工学院大学山岳部、3名(男子のみ)、阿曽原〜池ノ平〜剣澤
8/22、埼玉大学ワンゲル部、1名(男子)、剣澤〜池ノ平〜欅平
8/26、日大理工山歩会、6名(男子のみ)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
9/17、和光大ワンゲル部、2名(男子のみ)、阿曽原〜池ノ平〜穂高まで縦走
9/30、広島大ワンゲル部、3名(男子のみ)阿曽原〜池ノ平〜剣澤
9/30、茜ハイキングクラブ、1名(男子)、唐松岳〜阿曽原〜池ノ平〜室堂
10/2、三重大学ワンダーフォーゲル部、3名(男子のみ)、剣澤〜池ノ平〜欅平
10/6、北九州大学山岳部、1名(男子)、剣澤〜池ノ平〜欅平
10/7、同志社大学U部ワンダーフォーゲル部、3名(男子4名、女子1名)、剣澤〜池ノ平〜欅平
10/8、三菱電機紅菱会山岳部、3名(男子のみ)、真砂沢出会い〜池ノ平〜旧日電歩道〜黒四ダム
10/8、九十九山の会、5名(男子3名、女子2名)、阿曽原〜池ノ平〜剣澤
10/14福井県庁山岳部、2名(男子のみ)、自宅〜池ノ平〜阿曽原

                   <1990年、平成2年>
7/26、東京芸術大学山岳部、3名(女子のみ)、池ノ平〜内蔵助
7/27、早稲田大学山岳会、4名、小黒部谷に下山(通過)
7/27、大阪府立茨田高校ワンゲル部、7名
7/28、大阪市立大学ユースホステル部、7名、池ノ平〜仙人池〜真砂沢
7/28、愛媛大学医学部ワンダーフォーゲル部、5名、池ノ平〜剱山莊
7/28、酪農学園大学山岳部、3名、池ノ平〜黒部方面
7/29、名大アルペンクラブ、4名、池ノ平〜阿曽原
7/29、仙台山岳会、1名(男性)、池ノ平〜阿曽原
7/30、防衛大山岳部、6名、室堂〜剱岳〜池ノ平〜欅平
8/2、法政大学山岳部、4名、池ノ平〜真砂沢
8/2、太田山の会、1名(男性)、
8/2、高知市役所山岳部、4名(男性3名、女性1名)、池ノ平〜欅平〜宇奈月(泊り)

8/4、福島県立平工業高等学校山岳部、20名、池ノ平〜仙人池〜阿曽原
8/9、長野県下伊那農業高校山岳班、12名、剣澤〜池ノ平〜真砂沢
8/9、東京電機大学工部体育会山岳部、4名、剣澤BC〜池の平AC〜
8/12、ちば山の会、4名(男性2名、女性2名)、池ノ平〜剣澤小屋
8/14、京都府立大ワンダーフォーゲル部、3名、
8/14、15(連泊)創価大学歩こう会A隊、4名、
8/19、北海道大学サイクリングクラブ所属、2名、池ノ平〜仙人峠〜剣澤キャンプ場

                 <1995年、平成7年>
8/2〜3、大阪府立山田高校ワンダーフォーゲル部、9名、

                <1998年、平成10年>
9/5、山中山岳会、6名(男子5名、女子1名)、宿泊

                <1999年、平成11年>
7/11、金沢工業大学山岳部、1名、
7/27、韓国仁川市の「仁荷大学校」、5名、
8/2,奈良大学ワンダーフォーゲル行道会、1名(女性)
8/2、ミリオン山の会、4名、宿泊、
10/2、ふわく山の会、5名(男性3名、女性2名)、室堂〜池ノ平〜剱岳(北方稜線)、宿泊、
10/1、日田山岳会、1名(男性)、真砂沢〜池ノ平〜欅平
10/9、日本登高研究会、2名(男女各1名)、真砂沢〜池ノ平〜黒四ダム

               <2000年、平成12年>
7/29、日本山岳会、1名(男性)、室堂〜池ノ平〜坊主山往復
8/7、兵庫高校山岳部、室堂〜立山三山〜剣沢〜剱岳〜剱沢〜池ノ平〜阿曽原
8/7、創価大学歩こう会、池ノ平〜真砂沢〜扇沢〜五色が原〜
8/13、ブルーベル山の会、6名、
8/13〜15、蛍雪山岳同志会、2名(夫妻)、早月川尾根〜剱岳〜三ノ窓〜小窓〜池ノ平〜阿曽原
8/19、雪嶺山岳会、9名、

8/23、京都佛教大学山岳部、1名(男性)、三ノ窓〜チンネ〜池ノ平〜剱岳(池の平山経由北方稜線)
8/26、龍谷大学学友会体育局ワンダーフォーゲル部、1名(男性)、剱沢〜池ノ平〜阿曽原
9/15、ふわく山の会、3名(男子のみ)、室堂〜剱岳(北方稜線)、宿泊
9/17、東京農大アカシアの会、1名(男性)、池ノ平〜阿曽原
9/19、武生山岳会、1名(男性)、欅平〜池ノ平〜剱沢

               <2006年、平成18年>(この年、全て宿泊)
7/30、ブロッケン山の会、1名(男子)、池ノ平〜剱岳(北方稜線)〜剣澤、宿泊
8/13、ふわく山の会、4名、剣澤〜池ノ平〜剱岳(北方稜線)〜剣澤(テント)宿泊
8/22、月曜山歩会、6名、池ノ平〜剱岳(北方稜線)〜剣澤、宿泊
8/21、乙訓山の会、3名、池ノ平〜剱岳(北方稜線)宿泊
9/23、小松ブルーベルの会、1名(女性)、池の平〜剱岳(北方稜線)〜早月小屋、宿泊
10/1、仙台山岳会、5名、池ノ平〜ハシゴダン乗っこし、宿泊。
10/3〜4、甘楽町山の会、1名(男性)、池ノ平〜三ノ窓〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
10/7〜8、福岡県の山岳会、4名(男性3名、女性1名)剱沢〜池ノ平〜阿曽原(吹雪で宿泊)
10/7〜8、倉敷山の会、1名(女性)池ノ平〜黒四ダム、(吹雪で宿泊)


              <2007年、平成19年>
8/13、倉敷山の会、1名(女性)、池ノ平〜剣澤
8/29、登高会、1名(男性)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
(ここから宿泊)
7/25、日本山岳会東海支部都友、2名(夫妻)、剣澤〜内蔵助、宿泊
8/4、ふわく山の会、6名(男性2名、女性4名)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
8/5、高知の山岳会、3名(男性2名、女性1名)、池の平〜剱岳(北方稜線)、宿泊
8/11〜12、札幌ピオレ山の会、1名(男子)、剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
9/13、みろく山の会、5名、早月小屋〜剱岳〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊、
8/15、日本山岳会(リーダーのみ)、12名(男性8名、女性4名)、真砂沢〜池ノ平〜剣澤、宿泊
8/19、信大山岳会OB会、6名、剣澤〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
8/24、滋賀県の労山、4名(女性のみ)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
8/29、信大山岳会OB、2名、池ノ平〜剱岳(北方稜線)〜早月小屋、宿泊
9/1、富山県・県庁スキー山岳会、3名(男性のみ)、池ノ平〜北方稜線
9/16、安曇野市の山岳会、8名、池ノ平〜黒四ダム、宿泊、
9/22、みろく山の会、5名、池ノ平山〜仙人山〜仙人温泉、宿泊
9/29、吹田勤労者山岳会、5名、池ノ平〜阿曽原、宿泊
10/5、土佐アルパインクラブ、5名(男性のみ)、剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜阿曽原、宿泊、
10/7、倉敷山の会、5名、(男子2名、女子3名)、池ノ平〜黒四ダム、宿泊、
10/13、ふわく山の会、5名、剱沢〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊、


              <2008年、平成20年>
8/3、ブロッケン山の会、4名(男性3名、女性1名)、馬場島〜剱岳〜北方稜線〜池の平〜阿曽原
8/9、早稲田大学ワンダーフォーゲル部、8名(男子5名、女子3名)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
8/13、創価大学歩こう会、3名(男子のみ)、池ノ平〜剣澤
8/13、福岡大山岳会、4名
9/21、ワンゲル同好会、4名、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
9/29、登高会、2名(男子のみ)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
10/12、豊中勤労者山岳会、1名(男子)、池ノ平〜剣御前

(ここから宿泊)
8/4〜5、福岡県の山の会、8名(男性3名、女性5名)、宿泊
8/5〜6、大府山楽会、2名(女性のみ)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
8/4、アトラス山岳会、5名、(男性のみ)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
8/4〜7、アトラス山岳会、2名(夫妻、阿曽原〜池ノ平〜阿曽原)、宿泊
8/10、広島の山岳会、4名(男性3名、女性1名)、赤谷山〜池ノ平〜早月小屋、宿泊
8/11、理科大山岳会OB会、3名(男性のみ)、池ノ平〜剱岳(北方稜線)〜剣澤、宿泊
8/15〜16、東京の労山、1名(男性)、池ノ平〜剱岳(北方稜線)〜早月、宿泊、
8/15、蛍雪山岳会、7名(男性4名、女性3名)、真砂沢〜北方稜線〜真砂沢、宿泊
9/1、山岳スキー研究会、1名(男性)、剱沢〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊
9/13、倉敷山の会、2名(女性のみ)、剣澤〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊
9/13、土佐アルパインクラブ、3名(男性のみ)、剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
9/21、東京の山岳会、5名(男性3名、女性2名)、池ノ平〜剱岳(北方稜線)〜剣御前、宿泊
10/11〜12、倉敷山の会、1名(女性)、室堂〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊
10/12、白木愛山会・東広島山の会混成、4名、(男性2名、女性2名)、池ノ平〜欅平、宿泊


               <2009年、平成21年>
8/8、防衛大学校山岳部、5名(男子のみ)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原
8/9、神奈川山岳会、3名、剣澤〜剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜真砂沢
8/9〜10、川崎の労山、3名(男性2名、女性1名)、池ノ平〜真砂沢〜剣澤
8/14、奈良岳志会、4名(男性のみ)、赤谷山〜池ノ平〜早月
8/14、豊橋山岳会、4名(男性3名、女性1名)、池ノ平〜剣澤
8/22、MSC、2名(女性のみ)、剣澤〜池ノ平〜剱岳(北方稜線)
9/20、練馬山の会、3名、(男性2名、女性1名)
9/20、西宮山岳会、8名(男性4名、女性4名)、池ノ平〜小窓〜小窓の頭〜三ノ窓
9/21、長野県山岳協会主催登山教室、8名(男性6名、女性2名)、扇沢〜真砂沢〜池ノ平〜剣澤
9/21、上市峰窓会、1名(男子)、池ノ平〜三ノ窓

(ここから宿泊)
7/20〜21、泉州山岳会、1名(男性)、室堂〜池の平〜黒四ダム、宿泊
7/24、アスレチッククラブの仲間、9名(男性4名、女性5名)、剣沢〜池ノ平〜剱岳(北方稜線)、宿泊
8/4、太田山の会(労山)、2名(夫妻)、剣澤〜池ノ平〜剣澤、宿泊
8/4、魚津岳友会OB、1名(女性)、室堂〜池ノ平〜室堂、宿泊
8/5、加島ルスクライミングクラブ(労山)、1名(男性)、剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜阿曽原、宿泊
8/6、豊中勤労者山岳会、1名(男性)、池ノ平〜剱岳(北方稜線)、宿泊、
8/8、根名草会、17名(男性9名、女性8名)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原、宿泊、
8/12、日本山岳会、1名(男性)、長次郎谷〜三ノ窓〜池ノ平〜阿曽原、宿泊、
8/14〜15、日本山岳会(リーダーのみ)、9名(男性4名、女性5名)、剣御前〜池ノ平〜室堂、宿泊
8/18、日本山岳会、1名(男性)、黒四ダム〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊、
8/19、日本山岳会、1名(男性)、池の平〜欅平、宿泊、
8/20、Bush山の会(女性だけの山岳会)、2名、剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜室堂、宿泊
8/21、泉州勤労者山岳会、5名(男性のみ)、剣澤〜池ノ平〜剱岳(北方稜線)、宿泊、
8/23、吹田労山・西淀川労山混成チーム、4名、剣澤〜池ノ平〜剱岳(北方稜線)、宿泊、
8/29、鈴鹿山歩会(労山)、1名(男性)、仙人温泉〜池ノ平〜真砂沢〜剱岳〜早月小屋、宿泊、
8/27〜28、蛍雪山岳同志会、2名(男女各1名)、剣澤〜池ノ平〜剣澤、宿泊、
8/30、山岳同人ネームレス、1名(男性)、剱山莊〜剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊、
9/8、森林山の会、1名(男性)、阿曽原〜池ノ平〜室堂、宿泊、
9/16、摩耶山友会、3名(男性のみ)、剣澤〜池ノ平〜仙人温泉、宿泊、
9/17、ふわく山の会、1名(男性)、剣澤〜池ノ平〜剣澤、宿泊、
9/19、豊田山岳会、3名(男性1名、女性2名)、剱岳(北方稜線)〜池ノ平〜真砂沢、宿泊
9/20、東京の山岳会、3名(男性2名、女性1名)、剣澤〜池ノ平〜、宿泊、
9/20、東京労山、2名(夫妻)、宿泊
9/20、土佐アルパインクラブ、7名(男性6名、女性1名)、赤谷山〜池ノ平〜小黒部谷下降、欅平へ。
9/20〜21、倉敷山の会、1名(女性)、室堂〜池ノ平〜仙人ダム、宿泊、
10/2〜3、東京の労山、2名(男女各1名)、剱山莊〜池ノ平〜室堂、宿泊、
10/10〜11、蛍雪山岳同志会、4名(男性2名、女性2名)、剣澤〜池ノ平〜黒四ダム、宿泊、
10/11、魚津岳友会OB、1名(女性)、剣澤〜池ノ平〜剣澤
10/13〜15、ふわく山の会、4名(男性1名、女性3名)、剣澤〜池ノ平〜阿曽原〜黒四ダム、宿泊。

<2010年、平成22年>
<2011年、平成23年>
<2012年、平成24年>
<2013年、平成25年>
<2014年、平成26年>

<考察>
 上記の一覧表を見ますと、平成3年から平成6年まで宿帳等がなく不詳ですが、この間に学生の山岳活動の衰退が一目瞭然となったことが分かります。
 高校から山岳部が消え、大学山岳部の部員が減り、部活動を維持するこが難しくなってきていると関係者からお聞きしますが、事実であることが歴然と分かります。
 2008年の夏に京都府立大山岳部の部員の方が真砂沢ベースに池の平山を登りに来ました。その中にその年入会された部員が2名いて、1年先輩の方は「大変稀なこと」と言い大変喜んでいました。その時の会話では、「今、大学の山岳部で部員が一番多いのは同志社大の山岳部で12名です」とも言っていた。
 また、昨年夏、逞しい明治大学山岳部の2名、2パーティが真砂沢ベース赤谷山往復と八ッ峰との交差登山の折、池の平に水補給で経ち寄ったが部員の少ないは目に見えていた。
明治大学体育会山岳部、2009年9月強化山行・9/14〜21日、5名>(クリック)
 
 反面、若い時に幕営山行をされていた方が、小屋泊まりに移行してきていることも見て取れますし、思いのほか山岳会などに入会されている登山者が多いことが分かりました。山岳会に入会されているから安全とは限りませんが、池の平逗留の登山者の皆様の事故発生率が少ないのは、組織率の高さ、安全意識の高さに寄るのかも知れません。全ての登山者、自然愛好家のみなさまの安全を願い、そしてその山行が感動に満ち、充足感100パーセントでありますことを心よりお祈りいたします。
                 データ採取、文責、池ノ平小屋管理人、菊池今朝和

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