池ノ平小屋関連年表
                                  上田頴人氏作成、菊池今朝和加筆

 今年で(2013年・平25)で創業7年目(大正14)となりました。
 戦後、昭和26年からの再開から6年目となります。

1914 大正3年 小黒部谷に小黒部鉱山(輝水鉛鉱ーモリブデン)試掘小屋までのルート拓かれる。
1915 大正4年 日本山岳会の小暮理太郎、田部重治ら小黒部谷〜池の平を経由して剱岳に向かう。
医学博士の岸一太(耳鼻咽喉科医)小黒部鉱山(富山興業)の経営にあたる。
1916 大正5年 小黒部鉱山最盛期を迎え事務所などが小黒部谷の大窓雪渓出合い付近から池の平に移転する。
剱岳採掘産のモリブデンを素材としたエンジン用シリンダーを搭載した飛行機「つるぎ号」1号完成。洲崎の埋立て地にて処女飛行に成功する。
1917 大正6年 池ノ平の鉱山事務所を利用する登山者が増える。
1918 大正7年 岸一太の資材・原料をすべて国内産に依拠するこだわりが、裏目となり、飛行機製作事業は破綻(赤羽飛行機製作所)、小黒部鉱山も撤退に追い込まれる。
1921 大正10年 朝香宮鳩彦王殿下北ア横断登山(信濃大町ー針ノ木峠ー五色ケ原ー立山ー剱岳ー小黒部谷ー祖母谷温泉ー唐松岳ー八方)の折、池の平で露営。伝えられるところでは、まだ鉱山の作業員がいて、この夜はみんなで、盆踊りを披露して殿下を慰めたという。
1925 大正14 山小屋建設の声に芦峅寺案内組合が鉱山の廃材を使い小屋を建設する。小屋番は芦峅寺の佐伯軍蔵。
1928 昭和3年 富山営林署(?)造林小屋建設。収容20人。
1931 昭和6年 増築、収容25人。
1939 昭和
14年
関西電力の軌道、仙人谷まで開通。
1940 昭和
15年
小屋番芦峅寺の志鷹範治に交代。阿曽原〜池の平間の登山路開通。
1941
昭和16年 第二次大戦と共に小黒部鉱山再開、事務所建設。
1943 昭和18年頃 写真家の田淵行男さん池の平小屋逗留中、池の平小屋を買わないかと勧められる。
小屋番志鷹さんと佐伯さん(田淵行男著『黄色いテント』)。
1945 昭和20年 終戦と共に鉱山休山。
1945 昭和24年 魚津高校山岳部が営林署小屋と鉱山事務所を山小屋として管理(2年間)。
1951 昭和26年 前年に朝鮮戦争勃発、小黒部鉱山再々開するが、8月末には採鉱中止。内山村(現黒部市宇奈月温泉)米沢幸作村長が鉱山会社と営林署の要請で経営を引き受ける。
1952
昭和
27年
内山村の田中正雄さん(22歳)管理人となる。
1960 昭和35年 組み立て式カマボコ小屋(収容70人)併設。
1961 昭和
36年
田中さんの設計で改築(風呂付き)、収容80人。
1990 平成2年 田中さん病気で倒れ、ボランティア管理(京都の阿部恒夫さん、仙台の池田壽和さん)。
サポート、小野信太郎さん、上田頴人、由紀子ご夫妻、菊池今朝和。
1991 平成3年 小屋倒壊。9月、田中さん死去(61歳)。
1992 平成
4年
旧小屋撤去。5人収容の仮小屋設置(菊池ハウス。)
1993 平成5年 再建の基礎工事始まる。田中さんの追悼集『剱・池の平讃』有志により刊行。
1994 平成6年 宿泊棟完成。翌年より新井真次さん戦後2人目の管理人になる(2006年まで)。
1997 平成9年 厨房を備えた、管理棟完成
2006 平成
18年
新井さん小屋を離れ、丸山、木下、菊池、吉沢、小野、冨岡、高橋さんによるボランテァ管理。10月、暴風雪で簡易トイレ2棟飛ばされる。
2007 平成
19年
菊池(今)戦後3人目の管理人。ボランテァ組織、モンロー会の、吉沢、岩永、木下(経)、菊池(英)、菊池(健)、山田、児玉、松岡、8名で7月7日元気よく小屋明け入山。12日、故小野正史さんの御霊を剱岳の風に託す儀式を実施。10月19日無事下山。7月から10月迄かかり木造トイレ建設。
2008 平成
20年
7月5日、菊池、長谷川、他モンロー会の、吉沢、岩永、児玉,木下、山田の7名で入山。地元の山仲間食糧搬送で、大活躍(橋本、池原、長勢、BOW嬢など)。10月18日ボランテァの冨岡、亀谷、小元、佐藤も含めた6名で無事下山。お付き合いの長いお客さまの邑上さん、大工原先生より安全祈願の釣鐘を寄贈される。
2009 平成
21年
7月4日、菊池、木下の小屋番ほか、吉沢、岩永、児玉、滝場、菊池(英)などのモンロー会のメンバーに、今年も地元の若手の凄い人達、長瀬、橋本、岩城、BOW嬢等と小屋明け入山。10月17日、小屋締め隊の亀谷、佐藤、小元、瀧場、それに木下、菊池の6名無事下山。お客さまの邑上氏よりダイオキシン・レスの焼却炉寄贈される。
2010 平成22年 7月3日、愛知から、小屋番の菊池はじめ吉澤、岩永、瀧場(長期)、地元から橋本、長瀬、岩城、浜谷(初)、藤本(女性)、稲荷(初)さん等10名、それに関東から木下(通年)、上野(女性、初)、斉藤(女性、初)等で、合計17名で小屋明け入山。小屋締めは、関東組が(亀谷、小元、佐藤、太田、畑木・女性、会田)、地元組み(山田、背渡)。7月、待望のディゼルエンジン揚る。9月、モンロー会の岩城、文山氏より衛星テレビ一式寄贈なる。10月、亀谷棟梁の手で食堂脇2階、32センチ格上げ改造(頭をぶたなくてもよくなった)。ビデオ入荷。
2011 平成23年 7月2日小屋明け入山。愛知から、菊池、吉澤、児玉。東京から木下、斉藤。富山から、橋本、長勢、岩城、浜谷、池原、稲荷、地元、上沢、金沢、根岸。石川から藤本。岐阜から堀。新潟から和田の総勢18名入山。冷蔵庫あがる。小屋締め、亀谷、畑木、冨岡、高橋(八)、衣川、岩城、文山、ベアンテ・ボーマン、林、木下、菊池(10/15,16と分散下山)。この年、池側の床板、5面張替え実施。大形の焼却炉、兵庫の邑上氏より寄贈される。
2012 平成24年 7月6日小屋明け入山。愛知から、菊池、吉澤、児玉、衣川、前田、石田。東京から、木下、高橋。地元から、池原、稲荷、文山。石川から藤本。新潟から和田の13名。キャンプ用ベンチ2脚荷上げ。微生物分解式トイレにばっ気法を取り入れる(岩城氏発案)。発電室の庇工作。登山道補修。新品寝袋入荷。
10月17日小屋締め、菊池、木下、高橋、衣川、冨岡、加藤、文山、岩城、小元、佐藤、浜谷(11名)
2013 平成25年 7月6日小屋明け入山。菊池、衣川、吉澤、児玉、橋本、稲荷、文山、地元、浜谷。10月19日小屋締め後下山。亀谷、畑木、高橋、浜谷、20日下山、菊池、木下、衣川、佐藤、文山、岩城。この年、トイレ石垣補修。登山道及び崩壊した小黒部谷大がかりに補修。管理棟に、食料棚と管理人のベット用の3段の棚作成。トイレに庇設置。
2014 平成26年 7月5日小屋明け入山。菊池、衣川、高橋、木下、吉澤、児玉、藤本、和田、中嶋、池原、稲荷、橋本、地元の13名で入山。<寄贈関係>新品風呂釜、寝袋入荷(高橋八さん、風呂釜の設置及び改善で文山さん約3週間奮闘)。大形冷凍庫(大阪の邑上さん)。大量に讃岐うどん(香川の山地さん)。各種塗料関係(塗料店経営の諏訪さん)。伸縮はしご(岩城さん)。お風呂及びトイレのりホーム(東京の棟梁の蹴揚さんをメーンに木下、衣川、菊池)。倉庫再建(菊池、稲荷、木下、衣川、文山、蹴揚さん等、未完)。トイレ補強関係(菊池、稲荷、木下、衣川、文山、蹴揚さん等)。小黒部谷の崩壊対応(蹴揚、菊池、衣川、木下、稲荷さん等)。旧小屋の残材整理(木下さん)。水槽の改善(蹴揚、菊池)。水槽への塩素投入の改善(菊池、文山)
10月18、19日小屋締め下山。亀谷、畑木。文山、菊池、岩城、衣川、高橋八、佐藤、小元の諸氏。                                                                                                                   
2015
平成27年 7月4日小屋明け入山。佐方、菊池、衣川、高橋八、吉澤、児玉、前田、和田、中嶋、池原、稲荷、文山、地元、白川、伊豆田、15名で入山。<寄贈関係>寝袋、座布団、テント設営関係品(高橋八)。讃岐うどん(香川の山地さん)。 佐方戦後4人目の管理人。 宿泊棟床一部張替。
小屋締め、富岡、文山、亀谷、佐藤、小元、岩城、高橋(八)、衣川、白川、佐方。                                                                                                      


『剱・池の平讃』より一部転載