お客様の文芸コーナー&山と音楽

 まず、文芸コーナー

※池ノ平小屋には「池ノ平ノート」という寄せ書き帳があります。そのなかには、俳句、詩、短歌、などが思いを込めて書かれています。それらのものや、送り届けられたものなどをこの欄では紹介したいと思います。          


                                                       =静岡の山ガール・鈴木まどかさんの即興詩=

                                                               登らなきゃ  登んなきゃ
                                                                  そんなことは思わなくてイイ
                                                               皆で歌唄い
                                                                 旨い酒をのむ
                                                               それが山の幸せ

                           


*2012年8月8日、プロの絵描きさん、スケッチをなさる方、写真の愛好家など、創作に造詣の深い 7名の方がお泊りになられました。そのなかに俳句をなさる女性がお一人みえました。西尾紀子さんといいます。池の平で詠まれました句を宿帳に書いて頂きましたので紹介いたします。

=西尾紀子=

三ノ窓 七星の杓 秋零す

岩峰に 囲まれゐたる 原爆忌

秋立ちぬ 岩々の木理 明瞭に

りんどうや 剱はなさぬ 山の池

とりかぶと 紫ふかき 原爆忌


*2010年仲間4人と宿泊され、その折オカリナの演奏会をお願いした富山在住の藤森芳憲氏が即興で詠んだ俳句が、墨痕鮮やかに認められ、昨年夏(2011年)友人の能登さんの背で池の平小屋に届けられました。掲載します。

=翠雲=

八ツ峰に雲去来して時忘る

モンローの唇仰ぎ見て胸躍る     



*先日(2011年秋)、大阪のお客様の邑上様から俳誌『うぐいす』685号(平成23、3,5発行)が贈られてきました。邑上様の散文、俳句が掲載されいましたので転載します。尚、邑上様の俳号は邑上ぢへゑです。

シリーズ自句自解 「その時一句」

天心へ神のきざはし鰯雲

=邑上ぢへゑ=

 山好きの父から押し付けられた登山の趣味。七三歳になった今も楽しんでいる。私の山行きはピークハンターと呼ばれる百名山を登り歩くのではなく、気に入った山に足しげくかようほうである。
 一番のお気に入りは北アルプス剱岳の北にある池の平小屋である。北アルプス、否日本の山々でここほど山の楽しみを秘めた山はない。
 アルペンルートの室堂でバスを降り、一泊二日の行程を歩く。その遠さと、一般ルートから外れたここを訪れる人はすくなく、静かな山の雰囲気が味わえる。新緑と残雪も山の醍醐味だが、特に山全体が燃え立つ秋。櫖、ななかまど、だけ樺の紅葉は、まさに桃源郷である。
 来る日も来る日もそのチンネと呼ばれる峨々たる岩峰に当る朝日から、陽が没しゆく夕焼けの彩を、また岩峰にかかる雲の動きを眺める、飽きない山暮らしだ。そんな山のもう一つの楽しみはその岩峰を眺めつつ入る露天風呂だ。素っ裸で山々の自然溢れる中に至福の刻を過す。そんな山には平野部より一足先に秋を兆す雲が現われる。高層部にできる薄いまだらな雲は、いろいろな形のアニメの映像を思わせる様に変化自在。そのうちに鱗状に形を変え、鰯雲となる。その色も夕刻とともに西の空から夕焼けの色に変る神秘の時間となる。
 この世とは思えない空一面のスクリーンは人の手には描きえない、まさに神の絵筆を感じる。見あげる宙・・・。筆舌に尽しえないと思った一瞬ふっと・・・神のきざはしだと直感した。
 地の神が天の彼方へ帰る一瞬を感じ、そして揚掲の句を賜った             
                                                      
 前掲「うぐいす」を仔細に拝見したら、主催者の池田琴線女選に、邑上様の句が五句掲載されていた。紹介します。

立ちならぶ山みな親し初御空

古宿の蓬菜飾り客迎ふ

梵鐘や惑ひは闇へ去年今年

太書きの賀状に賜ふ勇気かな

息災を語る筆跡年賀状


さらに、鈴木龍生選のなかに一句ありました。

山に逝く友は野菊に抱かれしや

作者に対し、ですぎた事ですが、この句に管理人が添え書きをさせていただきました。

 この句は、邑上さんの知人で、昨年(2010)9月28日、ネパールヒマラヤのダウラギリ(8167m)Ⅰ峰を登攀中雪崩で行方不明となっています山本季生(としお)さん(36歳)を詠んだものです。邑上さんは山本さんに登山の案内役を頼んだこともありますし、池の平小屋で数日過したあとは、必ず阿曽原温泉小屋に宿泊していました。阿曽原温泉小屋では、小屋の佐々木泉オーナーやスタッフの中山さん(通称大仏さん)、山本さんと歓談し親交を深めていたということでした。

 山本さんは池の平小屋から宇奈月温泉との中間にある阿曽原温泉小屋のスタッフでしたが、池の平小屋にも宿泊されたこともあり、管理人も阿曽原で3度ばかりお会いし、おなじ愛知県在住ということで親しくさせていただいていました。愛知県岡崎市出身の山本さんは、高校では山岳部に属していたようで、その後、春日井山岳会に所属し活動していました。”富士山測候所を活用する会”事務局のH/Pをみますと、山本さんは「2007年度、富士山頂設営の最初から山頂班員として、旧富士山測候所の開所準備、管理運営などに活躍された・・・」と、ありました。山本さんの人となりは、阿曽原小屋朝日小屋のH/Pから伺い知ることが出来ると思います。
 秋、池の平小屋から阿曽原へ下山しますと、きまって仙人ダムの辺りには野菊が清楚な花をつけ見るものを楽しませ、また疲れを癒してくれるのですが、邑上さまの発句の奈辺は如何だったのでしょうか。                           


 昨年末(2011年12月末)、お客様の邑上さんから、一冊の立派な句集が届けられました。
 常連のお客様、邑上さんのお母様、邑上キヨノさん(94歳)の俳句や随想を編んだ『ふるさと』です。 キヨノさんは句歴50有余年でまだご健在とのことです。『ふるさと』には膨大な俳句や随想が編まれていますが、此れも縁(えにし)と管理人の勝手な思いで、心うたれました句や随想をこの欄に転載させて頂きました。邑上さん申し訳ありません。
                  

ふるさと

        
<俳句> 第13回月村賞受賞作    「霧の追憶」    邑上 キヨノ
 

一位の実ふふむ力の湧きてきし
                      繚乱と黄葉紅葉の風の舞う
 秋風の余韻背山の稜々に
                      尾根を巻く一条の径雁渡し
 山脈を離れかりがね列正す
                      隠沼の挽歌こぼるる雁の声
 丸木橋しとどの霧に身を細め
                      遭難の碑文せつせつ霧宿す
 蔓竜胆たまゆらの日をむらさきに
                      いわし雲吊橋百歩ゆれ弾む
 吊橋の奈落を自在赤とんぼ
                      葛あらし露天の湯気をかきたてる
 霧粗く軋むリフトに盲しいたり
                      わが遅歩の霧を距てて夫の声
 白馬岳鎮めて霧の動かざる
                      秋惜しむケルン一会の影重ね
 秋の声ケルンへ山霊しずまりぬ
                      むらさきに極まり遠嶺鷹渡る
 山毛欅黄落昏れんと闇が遠巻きに
                      山小屋の銀河の明りの臥処かな

(昭和59年10月、俳誌「うぐいす」368号所収)


<随想>     筆散歩  「徳本峠」   邑上 キヨノ

銀河の尾掴みて眠る山の宿

 年経れば昔話ばかり。この度は銀河のもとで眠った山小屋の思い出を辿ってみよう。私の夫との旅はリュック姿に山靴。ボストンバックを提げてなどの旅は一度も味わっていない。雑念をすべて忘れ、ひたすら歩く山の径は最高。夫は山男と呼んでよい程の山好きだったので、お供をするのは遠ち近ちの山、数えきれぬほど。とは云え晩年近くは堂々の山岳登山ではなく、ハイキング程度だったが、山径の思い出は尽きない。今年も近づいてきた秋の山径を辿ってみよう。

 上高地と云えば七割方の人が「あヽ行った行った」と仰言る。わが思い出はその上高地を経ての道程。大正池で有名な上高地、澄み切った流れの梓川。その大正池は、大正初年焼岳の大噴火の折、泥流によって梓川が堰き止められ出来た池とのことで大正池と名付けたようだ。池には今なお白骨化した立木が生々しく池に佇立している。大自然の破壊力は恐ろしいが、思わぬ美しい景をも生みだす。

 大ていの方は上高地にバスで直行される様だが私共は一つ手前で下車。その大正池の沼のような池畔をざくざく歩いて上高地に着いた。上高地銀座と云われるほどシーズンにはその梓川に掛かる河童橋附近は老若の観光客で賑わう。殆どの方はこの辺りで宿泊、又は尚先にある田代明神池の方へとコースは決まっているようだ。

 で、私共はここでコースをつと右へ逸れて細い山径に入った。今迄の喧騒とは一変して人ッ気のない岨径。散策風な気分は吹っとんで、苦しい登り径。喘ぎあえぎ折々写真休憩などで息をつぐ。が夫は少し急いでいるようだ。もっとゆっくり登り度いが峠の山小屋がひょっとして無人かも。若し無人だったら陽のある中にこの坂を上高地まで引き返さねばならぬ。野営の用意ののない軽装の二人だ。

 上高地の標高が1500米。目的の峠は2140米の高さ。岨径はかなりの急坂で下山の人にも会わず。峠の小屋が無人かどうか聞くすべも無い。やっと案じつヽ辿りついた小屋は、吹けば飛ぶような、ちっぽけで粗末な構え。倖いにも山娘が出迎えて呉れ大きな安堵。ここが徳本峠小屋。今夜の我が御ン宿なのだ。日昏れて三人の同宿者が到着。五人の宿泊。一汁一菜の夕食。天井は低く背ナを屈めて起居。文字通りの煎餅布団。が倖いにも私の寝床は一番の窓側。

 二千米の山上は全く無音。そして晴れ渡った夜空の蒼いこと。その深海の様な澄んだ空に撒き散らされた大小無数の星のきらめき。大きな星は蒲公英の花のよう、曳く光は孔雀の羽根さながらの玉虫色。何カラットもの宝石めいた星が妖しく光を放って魂が宇宙へ吸いこまれそう。目を凝らして見ればそれ等の星座を透かして銀河の流れが、ゆったりとカーブを曳いて私の窓に迫っている。手をのべれば届きそう。低い天井、煎餅布団、昼の疲れもすべて忘れて私は寝もやらず、この豪華な山小屋のくれた夜空の神秘をひとり満喫した。

 説明になるが、昭和八年釜トンネルが開通する迄は松本電鉄の新島々駅からこの峠を越さねば
上高地に入れなかった由。墜道が開通してこの峠越えは全く忘れられたコースとなった。夫には若かり日の登山の思い出の径。彼の胸中の感懐は知る由もなく。私はこの山小屋の呉れた星空の眺めを、今も宝石のように胸に抱きつづけている。
(平成13年9月、俳誌「うぐいす」571号所収)    邑上キヨノさんは2013年6月に天寿を全うされました。


山と音楽 池の平ヨーデル

 1 前置き! 

 (1)山での音楽いいですよね。
 
管理人が最初に入会した山の会は”アトラス山岳会”といいます(本拠地岩手県釜石市、入会は昭和40年)。アトラスのみなさんは山の歌が大好きでした。例会で歌うこともありましたが、ホームグランド・五葉山の登山口(大松コース)での、今風にいえばコンパ(忘年山行、新人歓迎会、シャクナゲ鑑賞会など)では、次から次えと山の歌がアカペラでバトンタッチされ、とどまるまることがありませんでした。私も、最初はアッケにとられていましたが、だんだん山の歌が好きになりました。
 (2)山小屋でうたう
 昭和41年、当時板前をしていた私は、移転先の板長が重篤な急病で入院したため失業してしまった。そこでチャンスとばかり北アルプス縦走にでかけた。コースは風吹大池から三俣蓮華までだった。3泊目に白馬岳の天狗山荘に泊った。夕食が終ったあと、小屋の人や、泊った方が食堂に集い歌を歌うことになった。見ず知らずの、初対面の若者達が、語り歌った。まるで、それは当時テレビで放映していた「青年の樹」(大空真弓、勝呂誉出演)の世界だった。魅了され、三俣から下山後は、山小屋生活に飛び込んだ。そして、現在、池の平小屋の管理人をしているが、ときおり池の平小屋は、歌声ハウスに変身してしまう。歌集が用意され、紅葉の時期に声高らかなハーモニーで高揚してしまう。

 2 昭和30年代 剱岳でヨーデル 、池ノ平小屋でコンサト♪
 
 さて、私が始めて生のヨーデルを聴いたのは友人の結婚式であった。それまではレコードや映画のバック・ミュージックで聴いただけだったが、生のヨーデルには魅了された。
 しかし、もう、昭和30年代には池の平小屋で、ヨーデルのコンサートが、2度開催されていた。
手元の、『ヨーデル入門』(樺山武弘編、昭和39年6月25日発行、280円)やヨーデル同好会(AJK)のホームページに依拠して紹介したい。
 まず、『ヨーデル入門』に、20年前に池の平小屋倒壊時、一緒に再建に汗を流した京都の阿部恒夫さんの原稿が載っていたので転載する。

「ヨーデルと四季の思い出」  阿部恒夫(1930年京都生)

 第一楽章・春 割愛。

 第二楽章・夏

 剱岳のヨーデル・コンサート。
 ある年の夏のことであった。東京のMレコード店(注、レコード店ミューズ)のU氏(注、上田応輔氏)が、馴染みの池の平小屋に数日滞在しているから、ぜひとも遊びにくるようにと誘われた。現役会員のMを連れて、同じ行くなら池ノ谷を遡行しょうというので、軽装備のまま北陸路に旅立ったのである。
 この年も梅雨のあけるのは例年よりおそかった。上市から馬場島までのバス車中は、シーズンも早いのか登山者の姿はチラリホラリ。しかしさすがに馬場島莊までくると、大パーティでごったがえしていた。

 電源開発のため、早月尾根の末端あたりは飯場が建ちならび活気にみちあふれていた。白萩川のゴルジュ帯は高捲きルートで敬遠、やっとのことで池ノ谷出合に達した。ところがこの頃から雨が降り出し、更に悪いことには雪渓にとりつくと、気温の差のためかミルクのような濃霧で、肝心の雷の岩小屋はおろか、小窓尾根への取りつき点すら定かでなかった。二人ともこのコースは始めて、いつのまにか雪渓を登りすぎたらしい。

 折から本降りとなってきたので、二人とも、とあるベルグシュルンドの中で雨をさけてツェルトかむる。夜行の疲労がでてきたのか、ウッラウッラしてしまう。この降りしきる雨の中、ガスの中を未知のルートを探す気にはならず、結局、今晩はこの雪渓と岩壁の間に自然と造られた洞穴でビバークという破目になる。極度の軽装でラッシュ山行のため、二人とも寝袋もなにもない。ただツェルトの中で携燃(注、携帯燃料)を唯一のたよりに身を寄せあうばかり、即席の夕食が済んだものの、雨こそ降りこまないけれどもそのさの寒いのも当然、自然の冷蔵庫にはいったのと同じである。

 夜半から雨も上がり、皮肉なことには雪壁の天井から冷酷な雪どけの滴くが、朝までツェルトを濡らしつづけた。過去何回か積雪期に雪洞での露営した経験中でも、これほどみじめなビバークはないように思われた。それほど耐えがたい、長く苦しい一夜でであった。それでも最初の間こそ雪渓の上を無気味な音を立てて滑落する落石の音に、思わずちじみ上がったものだが、朝までにはけっこう度胸がすわってしまった。

 朝食もそこそこに出発したわれわれは、いつのまにか、小窓谷の出合もすぎて、はるかな大窓のコルに向かっているにに気がついたには、かれこれ一時間もたってのことである。池ノ谷へ入るつもりが、白萩川の本流をそうとう登り過ぎていたとは、なんともお粗末なかぎりであった。

 二人ともあわててひきかえす。ところが不精をして左岸の小さな雪渓を降路にとったため、途中で大きなガレにぶっかり、ザイルを持たないわれわれは全く進退きわまる。不安定なクライミング・ダウンの最中、アンサウンドな足場がくづれ、アッというまに何メートルかスリップ、自分では気がつかなかったが、Mに言われて、はじめて画面の裂傷が痛みだす。いい年をして全く恥ずかしいかぎりだ。

 こんな小さなアクシデントがあったので、いまさら雷の岩屋まで引きかえし、あの小窓尾根を乗りこえてまで、池ノ谷から三ノ窓に出る気はなくなってしまう。そこで惰性のまま小窓までの登高は、アイゼンすら持参しなかったわれわれには、全く非情のアルバイトであり、きびしいアプローチでもあった。

 やっとの思いでたどりついた小窓のコル、そこはまさしくこの世のパラダイスであった。陽光はさんさんと降りそそぎ、夏のそよかぜがアルプをかろやかに吹きわたっていた。早速あたり一面に濡れ物をおっぽり出しての満艦飾となる。それにしても、昨夜のあの悲惨なビバークとはなんという違いだろう。むさぼるように残飯を平らげ、残雪をとかしたあついコーヒーのこの香りはどうだ!二人とも天上の楽園にいる思いで、いつしかまどろんでしまった。

 ふと気がつくと、はるかな高みの方で、それは小窓王の直下にまっすぐのびた急峻な雪渓の上部に、豆粒ほどの人影が三人ほどみとめられた。もしかするとUさんのパーティではないだろうか? そう言えば今日の午後、三ノ窓のまで迎えにきてくれることになっていたっけ。時間からすれば、そろそろ三ノ窓ののコルで出会う頃である。そこで一計を案じて、下手なヨーデルではあるが声をかぎりに叫んでみる。するとどうだろう、すばらしいヨーデルが、とぎれとぎれにではあるが、たしかにかえってきたのである。これに元気づけられ、二人でU氏、K君の名前を大声でどなったがこれは聴きとれなかったのか、やがて視界から三人ともきえてしまった。

 いや、もしかするとあの三人はUさんたちではないのだろう。第一、夏山始めてのK君が、あの四十五度もありそうな雪渓を登れるはずがないと合点したけれど、後で聞いてみてやっぱりそうだとわかる。それにしては全くたいした度胸だ。前もってコール・サインを決めてさえおけばこんな失敗はしないですんだものを。ファルセット(裏声)の高音部は、確かに聴きとれたが、普通の胸声で呼んだ名前は、やはり聴こえなかったとか。はからずもヨーデルが、山間の牧場や谷底の村々で、通信の手段につかわれたのではないかという、ひとつの仮説を実験したことになる。こうなるとカナリヤ諸島はゴメラ島に今も伝わるという、あのシルボ(口笛語)唱法の方が実用価値がありそうだ。

 夜、池の平小屋二階で、待望のヨーデル・コンサートである。同宿のお客さんからも、しきりとリクエストやらアンコールが飛びだして、いとも愉快な一夜であった。
 翌朝、Mと二人でチンネまで出かける。すっかり梅雨があがったのか、今日の夏空は本格的な夏型の気圧配置である。この五月の春山合宿の時、予期しない凍雨にたたかれて退却の際、デポしておいたアイスハーケンやピトンの類をとってこようというのであったが、雪線が何メートルも下がってしまった今では、探すこと自体むりな相談であった。

 そのうちに、上昇気流に乗ってか、ヨーデルの高らかな裏声がはっきりと聴こえてくる。例の一行がまたまた池の平山まで、くだんのポータブル・ステレオ・アンプをかつぎあげて、野外コンサートを楽しんでいるのだろう。そうとは知らない三ノ窓にたむろする連中曰く、
「ヨーデルのうまい奴がいるもんやな、ほんまに日本人ばなれせているで・・・・・」。
 それもそのはず、本場のヨーデラーだもの。これには二人とも顔を見合わせてニヤニヤ笑ったことだった。
 帰途、道草をくったりしてたので、小屋に入ったとたん、夕立第一陣がやってきた。すでに引き上げていたK君、「アルプスの休日」というヨーデルをかけながら、「雨もまた楽し、アルペン・ヨーデルン・カメラードってにはどおですか?」と得意顔。
 翌朝、もう今日は下山の日。小屋の人たちに別れを告げて、仙人池で半日程遊ぶ。ここで八ミリ・フィルムのモデルにされてしまう。
 いい年をしてシュープラットラーを、池の小島でおどった。全くこんな格好だけは、女房にみせたくないもの。かくて夏山のバカンスはヨーデルとともにあけくれたのである。
 

第三楽章・秋、第四楽章・冬は割愛。


 さて、池の平でのヨーデルのコンサートの様子は、ヨーデル同好会のホームページ「同好会60年」から知ることができます。

ヨーデル同好会のHPより
 ネットを見ていたらヨーデル同好会(AJK)のホームページに巡りあった。
『ヨーデル入門』や、会の写真などを担当された、上田応輔氏のご子息からリンクはいいと思いますとのご返事で、”AJK同好会”のホームページのなかから、池の平小屋に関係する部分を無断で利用及びリンクさせていただきました。
アドレスの下の文章は添付された写真の説明文です。

 AJK同好会60年 (ここをクリックしますと、当時の写真がでます)

*1964年(昭和39)剱岳・池の平ての野外コンサートの様子です。
 昭和39年(1964)7月25日、本格的なアルプス・ムードが味わえ夏スキーもでき、そして登山歴を問わずAJKに最も適した静けさが残る北アルプス唯一の地、剱岳への出発日が到来しました。
 剱岳山頂を目指す人には上田(夏)氏がガイドします。夏スキーをしたい人は小窓の雪渓で楽しむことができます。ヨーデル・コンサートを楽しむ人は、お花畑での昼寝、仙人池でのスケッチ、花摘みもできます。
 各ガイドによるペースの配分ですが、その辺は我々にお任せください。歌でも口ずさんで歩いていくうちに仙人峠へ着き、もう小屋まで15分の下りです。
 雲海が足元に赤く染まる時刻には貴女のすばらしい山旅となるでしょう。ぜひ参加してください。との事前の触れ込みが効いたのか、特に女性の皆さんの参加が多かったのでした。工事用の上部軌道(トロッコ)にうまく乗れなかったためにトンネル内を2時間も歩いたハードワークも印象に残る思い出となりました。
 恭子さん、明美さん、治子さん、美砂子さん、緋佐子さん、総枝さん、とAJK会員だけで6人もの女性が参加した今回の剱行きは好天にも恵まれ、夏山の絶景を十分楽しめたといえるでしょう。
 (記述者:ヨーデル研究団体・AJK:上田應・青鹿ほか)


 AJK同好会60年 (ここをクリックしますと、当時の写真がでます)
* 昭和38年(1963)7月20日、AJKでは北アルプス剱岳の北面・池の平小屋をベースとして仙人峠、お花畑、仙人池畔、残雪に輝く小窓、三の窓等を目的地として携帯ステレオ・プレーヤーによる野外ヨーデル・コンサートに出発しました。
 北アルプスの中でも最もアルペン的な風景に恵まれた静寂境である池の平周辺は、黒四ダムの工事が完成した後は一般観光客の入山が容易になると予想されるため、静かに山を楽しめるのは今年限りになるかも知れない、とAJK会員以外の友人にも参加を呼びかけ実施したのです。
(コース) 上野駅ー(北陸本線)魚津ー(富山地方鉄道)宇奈月ー(関西電力軌道)けやき平ー(工事用のエレベーターで約300メートル上昇し上部軌道に乗り継ぐ)-阿層原ー(以下徒歩で5時間)-阿層原峠ー仙人峠ー池の平小屋着。

 夏休みがスタートする土曜日、上野発の急行「黒部」は満員でしたが四等寝台で何とか睡眠をとり、翌朝魚津へ着きました。宇奈月へ向う途中で先発隊の樺山・福家両氏と合流し、さらに欅平へのトロッコで隣に座っていた二人のお穣さんを誘ってとうとう目的地まで連れていったのです。
 池の平小屋は一晩だけ泊る登山客が多いためかメシは豊富にありますが、おかずは小魚、漬物、お汁ぐらいしか出ず、上田さんご自慢のブタ汁の美味かったこと!
 晴天に恵まれた三日目、剱岳登山組(小林昭・上田夏)は朝6時に出発しました。三の窓雪渓付近はかなり注意を要するスリリングなコースでしたが、無事剱岳山頂を征服できた感激はひとしおでした。一方、仙人池でのヨーデル・コンサート組は上田(應)隊長、樺山、赤須、野沢、福家、鳴島、斎藤恭の7名で、めったに見られない高山植物、アルプスの花を存分に観賞しながら聴くヨーデルは格別。充実した楽しいひとときを過ごしました。
 ここで撮った写真は秋に出版された「ヨーデルへの誘い」の裏表紙に使用され、意義ある野外行事となりました。「ヨーデルへの誘い」については前々回のブログで紹介してあります。
   (記述者:ヨーデル研究団体・AJK:元登山企画役員 小林(昭)、赤須文興)