
神(運命)により
多くを授かり、より多くを奪われた少女

オリンピック体操史上初の10点満点獲得者

【Personal DaTa】
生年月日:1961年11月12日
家族構成:ゲオールギ(父),ステファーニア(母),アドリアン(弟)
出身:オネスティ(ルーマニア)
ニックネーム:“白い妖精”, “M. Little PERFECT”
体操以外に好きなスポーツ:スキー, 水泳, テニス, サッカー
理想のタイプ:アラン・ドロン → ロバート・レッドフォード→?
若かりし頃の悩み:母譲りの鋭い眼光が、他人にプレッシャーをかけること(^_^;)

【名前の由来】
“Nadia”という名前、1976年まではルーマニアにはまずなかった。元来“Nadia”とは、ロシア人の名前“Nadejda(ナディエジダ,「希望」という意味がある)”の短縮形。
ナディアを妊娠した際、ゲオールギとステファーニアはロシア映画を観に行った。その映画のヒロインの愛称が、「ナディア」。ステファーニアは、彼女にすっかり夢中になってしまった。そしてそのまま、娘の名前としたのだった。

【幼少時のナディア】
ごく小さな頃から、好奇心・冒険心が旺盛だった。這うことができるようになると間もなく、家中を「冒険」するように。母ステファーニアは、ベッドに戻すべく、常にナディアに注意を向けていなければならなかった。
幼稚園に通い始めると、いつも遊び場を駆け回り、泥だらけになっていた。ちょくちょく、とんぼ返り等のアクロバットもした。サッカーも大好きで、年上の男の子達と一緒にゲームをしていた。最初こそ「年下のちび」と疎んじられていたものの、すぐに溶け込んだ。元々センスに恵まれていたことに加え、陰で猛特訓をしたためだ。周りの男の子達に実力を認められ受け容れられるまで、長い時間は必要としなかった。
独りの時は、ひたすら、木に登るかぶら下がるかしていた。彼女の住んでいたオネスティには、大きな果樹が林立していた。そのため、登る木には事欠かなかったのである。大きな木のてっぺんに留まり、あちこち眺めるのも好きだった。木に登っていると、時間を忘れられた。木の上で半日以上過ごすことも、しょっちゅうだった。不思議にも、木の上で身動きが取れなくなったことはなかった。落ちそうになったことは、しばしばだ。でも、大きな怪我は負わなかった。既に、ナディアの天与のバランス感覚は開花していたのだった。

【運命の邂逅】
ナディアが体操を始めたのは、6歳の時。きっかけは、ベラ及びマルタのカローリー夫妻によるスカウト。幼稚園で遊んでいた際、その身のこなしと活発さに惹かれた夫妻によって、才能を見出された。
当時、国威発揚の手段として、世界レヴェルの体操選手を育成するプロジェクトが発動されたばかりだった。カローリー夫妻は、才能の発掘・研磨の役割を担っていた。
運命に導かれ、巡り会った3人。そしてその1年後には、奇しくもナディアの生まれ育った街オネスティに、国立体操専科学校(現「ナディア・コマネチ体操学校」。当時で、ルーマニア国内最高レヴェルの体操エリート養成学校)が建立された。
奇跡の結晶化が、始まっていた。

【主な試合記録】
〔欧州選手権'75〕 個人総合:優勝 段違い平行棒・平均台・跳馬:優勝 床:2位
〔モントリオール五輪'76〕 個人総合:優勝 段違い平行棒・平均台:優勝 跳馬:2位 床:3位
オリンピック体操史上初の10点満点を、7回獲得。
〔欧州選手権'77〕 個人総合:優勝 段違い平行棒:優勝(エレナ・ムヒナとのタイ) 跳馬:2位
跳馬で一旦優勝得点が出たものの、ソ連チームが上級審判に猛抗議。結局、準優勝とさせられた。
平均台以降は、ルーマニアチーム全員が抗議棄権。但し、ナディアは平均台の演技を終えていた。得点は、全演技者中最高得点だった。
〔欧州選手権'79〕 個人総合:優勝 床・跳馬:優勝
〔モスクワ五輪'80〕 個人総合:2位 平均台:優勝 床:優勝(ネリー・キムとのタイ)


映像アーカイヴ
