< yamanakako

更新日:2011年02月22日


落語考
とても面白い数時間でした。

特に、勢蔵様と 槍田家 志ょ朝と 川の家 河太朗は、
もうプロです。

さて、夫婦の話、小生の女房を見ているようで、
身につまされました。

相撲の話も聞きたいものです。
この御時世だからこそ、落語で風刺してもらいたいものです。
結論を先に言えば、形が改良しようが、
絶対無くならない。日本人として残さなくては。
野見宿禰 ( のみのすくね )の時代からある相撲は、
どんなルールか知らない。
安土時代に信長がルールを決めたと聞いている。
時は天正6戊寅(つちのえとら、ぼいん)年。
信長が何を決めた?
----信長公記巻十に2回、3月と8月に。
八月十五日 江州国中京都の相撲取を初として千五百人安土へ被召寄
 御山にて辰刻より酉刻迄とらせて御覧候(信長公記巻十)

右御相撲取被召出何れのものし付之太刀脇差衆
御服かみ下御領中百石宛私宅等まて(同上)

千五百人と言えば、今の大相撲と比較しても見劣りしない。
対戦相手はどのように決めたか。想像すべきである。
現在の取り組みは、ファンとして特に問題にしないが、
説明が必要だろう。

熨斗付の御腰物大小二つ宛。並に呉服上下。
御知行百石宛下され。居宅等まで仰付けらる。《織田軍記巻第十八》

刀をもらう。服と米(土地)と屋敷ももらう。

確か「弓取り式」も、信長が決めた。
理由は「帰りの混雑を半分に」と、考えた。
等々、信長が見えてくる。

相撲は無くせない。出直しをかんがえなくては。

話を替える。落語だ。
古典は面白い、時代が見える、(歴史かどうかは別)
大阪商人が、「茶金サン」が居たのかどうか。
歴史は不明だが、時代は見える、大阪商人。

八百長の由来は
八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に
由来するといわれる。
プロレスは嫌いだが、相撲はそうでもない。
昔、力道山が居た。名前は相撲で出身、プロレスとして有名。

この辺りを落語にしたら面白いと思うのだが。??。

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