更新日:2011年02月24日


古文書亀崎



東浦の先輩に誘われ半田亀崎古文書(愛好??)会に出席
1時間半が、「あっ」という間だった。
面白そう
時代が慶応四年が又良い


資料チェックやら、文書作成で25日は終わる。
実は、この2、3日、メイルあり、旅行記(武蔵東海道)文
それを、自分なりに読み、少しメモを取る。


明日は、講座「水野氏」がある。

d201103010亀崎古文書.mem
未稿

d20110303亀崎古文書.mem
半田亀崎古文書サークルに行く。
二回目、皆様のレベルの高さに
改めて尊敬。

正式の文書は、
時々読んできた。
高札とかは、
誰にでも読める書き方。
知立
次に、手紙類は、相手が読む。
中には、専門家=祐筆が書く。
なら、まあ読める
----->
半田のサークルは、盛田家文書。
こうなると、家の控えだから、
家の者が読めれば良い。

だから、正確に写されたか疑問が有る。
お上からの回文の写しは、将に「怪文」。
だからこそ、真実があるかも。

内容が、良い。
慶応4年だ。
庄屋の控え文書。
それも、現時点のもの。
逆に、だからこそ読みにくい。



その上、読むだけでなく、
歴史を解く意識がある。
知多半島が見えるか、
それも幕末の日本人が、
代官所が、変わろうとしている。
尾張藩の幕末は、多くの人が気になる。
内部抗争の「青松葉」事件も有名。

亀崎盛田
青松葉事件(あおまつばじけん)とは、
慶応4年(1868年)1月20日から25日にかけて
発生 した尾張藩内での佐幕派弾圧事件である

勤皇派に決まっていた。が
切腹、刑死。


---- 未だ、生きていた人も居るか。

藩の内部抗争は、ほとんど
庄屋階級と関係ないかも。
志水甲斐守が出てくる。
名古屋城二の丸に
屋敷があったらしい。
外堀の中なら相当偉い人。
聞くところに依ると、
未だ西区に門が有るらしい。
人に売って、残ったらしい。
見たい。

横須賀陣屋は
読めなくても
なれで読む。

南郡総官時代は、
歴史が動いている。
だから、資料は少ない。

「郡」は「部」かも。

それ以外は、
「まあ」全部読めない。
今から、
今から、
楽しみ。

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