
下切地区は
当日雨で決行
だが、翌日の快晴日
花見気分で出席
亀は昼寝の甲羅干し
私として2日参加となる。
参加者は事前の名簿では、
地元緒川が約10名
その他東浦町10名
その他知多半島10名
程
すると、
教えてもらえる人がおり
教えて!!
まず、薬医門
この位置と名前
位置としてふさわしいと思う、
が、以前は、
土俵、お稲荷さんの
辺りらしい。
坂があり、坂の上に門。
このパターン。良くある。
ふさわしい。門を閉めれば、坂の両側から攻め手を防げる。
今の「便所」辺りから、石でも矢でも都合良い,是非、前の位置の門が見たい。
誰か写真無いかい,さて、今の位置だが此処も良い。
ただ、此処で門を攻める場合、正面向かって右側は小高いで、
防げる、左側は余り高くない。地元の人は、此処に「池が有った」と聞いた。
なるほど、それなら分かる。観音堂の前の駐車場が池なら
攻め手は、「一筋」と成り攻めにくい・・・さて、門自身の話に移る。
門は基本的に図の様だ。門が鳥居状なら倒れ易い。押せば倒れる。其を防ぐなら、図が良い。
但し、切妻の屋根は省略、又、看板、文字は「坊さん」の発想で、武士でないと思う

薬医門と言うらしい。だが、外の説として、「矢喰」門と書く。
「喰」はどう言う意味か知らない。
が、「いくいば」の使用例がある、、時代は、どちらも信長の頃。
私は、こちらを考えている、
もう一つ考えて居る事がある。
「放生」である。以前、この言葉を聴いたのは、
確か、富山か、その辺に「放生津」という所があった。
何れにしても、捕まえた生命を逃がす事である。・・
と、言うと、浦島太郎である。確か、武豊辺りで、
浦島太郎の玉手箱の話を微かに聞いた事がある。誰か教えて。
浦島は余り、仏教と関係が感じられない。
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