-----d20110429朽木.mem--------

朽木という地名は以前から知っていた。
しかし、熊川宿という名は知らなかった。
初めて、訪問で有意義なグループ旅行だった。
半田古文書会での旅行。
20名以下の小型バスでのワイワイ旅。
古文書初心者として、
私は、古文書より歴史に関心。
まず、「くろくわ」に関しては、
今後の、研究が望まれる。
江戸を理解する為、重要点だ。
尾張徳川家とは?
ひょっとして忍者か隠密か。
文学としての忍者は有名だが、
歴史としての忍者は今後脚光を浴びるか。
水戸中納言より、尾張大納言の方が史実に近いかも
苗字「渡辺」を名のる農民は、
単なる出稼ぎでは、割り切れない。
やはり、隠密。
苗字を名乗るには、藩の許可が要る。
願い出るというより、藩からの命令ぽい。
この人を調べて業績、
例えば、献金、酒、新田などの興業が無ければ、
無い程、「隠密」である可能性が高くなる。
が、その先の調査は、益々困難で有ろう。
で、又、文学の可能性がある。
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黒鍬を技術者として調べるなら、その業績を調べるべきだ。数人そこへ、私は不参加。
車からみると、トンネル前の渓流辺りだから、多分高度な技術だろう。
雨が急に激しくなり、時間も無く。熟慮する余裕は余り無かっただろう。
今、机の前で考えている。宿場は谷の底にあり川が有り、
宿場はずれの、謂わば、関所に最適地である。つまり、人と物、総てチェックできる。
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さて、私は、「黒鍬の碑探し」に同行せず、宿の裏山の城跡へ行く。
隠密なら、城を調査し、通行量を調べ、「水戸黄門様」をするだろう。
場所は名だたる「鯖街道」だ。京への街道。
時代は、日本海側諸藩が、未だ門司、瀬戸内海海路の出来る前辺りだろう。
相当可能性は高い。状況証拠は段々高くなる。
城跡の石垣は、実に良い。「荒いが、強い」感じ。
太平の時代で無く、戦国の土塁でなく、「やるならやるぞ」という石垣。
宿街道から20メートルも登るか、此処も、社になっているが、
立てこもる場所か。
寺の裏を通り隣は、神社あり、此処は集会できそうな場所、米倉跡らしい。
詳しくは知らないが、此処に義民の像有り。
その、いきさつは未調査。数分の滞在だ。が、再度行きたく候。

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