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まず4日(水)緑の日 朝、「確か多度の上げ馬が有る」と思い、 インターネットを調べる。
少し遅いが、「まあ良いか」と、出かける。
巽ヶ丘駅まで、車で行き。
取り敢えず名古屋へ。
此処までは慣れた事。
さて、近鉄で、桑名へ。
桑名から養老線で少しウロウロ。
弧線橋を登り初めて案内を見ると、
このホームと矢印。
隣のホームが、フェンスで区切られ、
切符を売っている。
電車は既にホームに止まっていた。
10数分待たされた。
養老線は初めて。
単線で数駅で多度。
鈴鹿山脈の裾野を行く。
東は、濃尾平野。
霞ぽい天気だが、延々と濃尾平野だ。
少し前まで、
と、言つても数百年前は、湿地だ。
数年前、高須藩を尋ねて、もう数キロ北辺りを
車で、廻った。
車では、時々来ている。
薩摩藩士の苦労を訪ねたりした。
桑名市街は既に数度訪ねている。
多度大社も数度来ている。
実を言うと、長男の嫁の里だ。
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今回は「上げ馬祭り」が目的である。多度の駅までは、15分位か着く。
飽きる迄無く、車窓も楽しめる、丁度良い距離。
単線だから、長閑である。多度駅に着いて、駅前の案内では、
「歩いて20分」とある。駅から北へ5分歩き、川を渡る。
此処からの道は、車は入れない。川を上る事になる。
門前町というより参詣街道である。川沿いを歩き初めてすぐ、
脇道から呼び掛けられる。数日前会っているが、嫁さん夫婦と御両親だ。
「上げ馬ってどんな感じ」と出発前聞いていたが、此処で会うとは!
息子でなく、嫁さんに「発見される」とは、何と良い嫁。
舅冥利に尽きると言うべきだろう。
神社まで集団で歩き、馬を少し見て、俺一人残りもう少し散策する事になる。
会ったからには、返り道、少しお邪魔をする。
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行き道は、色々説明を受けた。坂といえない程の道だが、
鯉幟が脇の原で泳ぐ。山裾の緑が爽やかである。
屋根の波の向こうに、神社の白い幟が2本見える。
これが、新緑を一層映えさせる。道は、段々人込み初める。
屋台も増えて来て、もうすぐ其処。神社前は馬が通る道を挟んで人の列が
何重にも重なる。
「上げ馬祭り」は神事である。「馬が上がるか否か」である。
これが見れる所を人が並ぶ。馬道の数百メートルは、地元の人の桟敷である。
桟敷越しに馬が通る。走るアナウンスが有る。その時、見物が数倍に膨れる。
見えていた場所の前に、肩車の親子で現れる事は普通の事。
「日傘のオバサン」それは無いよ。走る数分の間は、日傘はたたんで。
坂(崖?)の前、数百メートル前に、仮の厩舎があり、馬場があり、
出走前に馬場で足を慣らし、出走路に出て、騎手が乗る。
騎手は少年で、陣笠に裃。江戸時代雰囲気。
2日の祭りの1日目だから、此れだそうだ。2日目は、鎌倉風らしい。
馬はサラブレットか、足は長いし、興奮している。
又、興奮してい無ければ、登れない坂だ。「神事」である。
騎手はこの日な為、長い間禊をしてきた。熱湯の中に、手を入れる位の覚悟で、
馬に跨る。
騎手が乗る馬道のそれより遠い方向にも道があり、遠いだけ、柵もあるが人は少ない。
ここで、予行演習らしきものをする。充分、観賞できる。
柵の外でも、馬が暴れないか、少し怖い。
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馬と言えば、地元に「オマン塔」が有り、「駆け馬」がある。
馬を飾る「オマン塔」は、岩倉辺りで聞いた事がある。
独断を許してもらうと「駆け馬」に関しては、「上げ馬」を見て真似たと感じた。
「駆け馬」は数回見たが、馬より若者の度胸試しと感じた。
「家畜の馬が暴れても、止める度胸」が、目的のような。
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「上げ馬」は、中々成功しない。失敗の馬は階段を上がる。
階段の上からも見たいと、階段を登る。
当然、「馬階段」の横を少し借り、綱を張り「人間階段」が、作られている。
「上げ馬」は約20分程毎である。階段上も馬場様に出来ている。
柵の外で馬を待つ。崖付近で、法被の群れがざわめき、馬の頭が、何とか見れる。
残念ながら、私の居た時は成功馬は、無かった。
だが、階段を来た馬も相当興奮していて、
法被が10程でも、馬は蹴りを入れ様とする。
ここには、宝物殿、社殿、その他があり「志」で鈴でお祓いもしている。
そういえば、小学入学前、親に連れられ、この前で頭を下げた事を、思い出す。
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下り道は坂、此処は警備の人が多くいて、馬と人を時間で分け、下ろしていた。
もう一度、馬場まで戻り馬を見て、「嗚呼、満足」
祭りは続いているが、元来た道をそろそろ返り始める。
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例の嫁さんの実家に寄るが、個人的過ぎる内容で、省略。

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