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まず6日(金)俺は毎日、日曜日
今年のNHK大河は「江・姫たちの戦国」
一月から、否、昨年末から、小谷城は行きたいと思っていた。
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前日から、夜明けと共に出発のつもり。
朝起き成功。
「知多半島六ツ発ち」
休日でETC割引も少ないので、下道で行く。
只、半島道路200円分だけ乗る。
が、早朝の為か、160円表示。
名古屋市内の信号待ちを避けたい。
23号線で西へドンドン進む。
名古屋西外れで、一号線に変える。
思いでは、養老山脈東側で進む。
先日の、多度を過ぎ北上。
道の駅「月見の里」で小用、
が、早すぎたのか大用も済ます。
静かなもので、車は二台、
月見の里とは、良い。
此処で月が見たい。
一般に月見は、東に山が有り、
その稜線から
出る月を待つものと思う。
竹林に昇るという名所も有った。
しかし、東は濃尾平野。
どんな月を考えようか。
この場合、満月だろう。朧の中から昇る月。
数刻が移り、月光の中の平野が輝く。
その中、獣が動く、狸や狐、兎が動く
そんな月見だろう。
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旅の初めは、小谷の序でに大垣も、目論んで見てた。
だが、カーナビを小谷に修正。道路標識に「養老」とあると、
ついそちらにハンドルを切った。大垣市内は、以前一日歩いた覚え有り。
町中であり、情緒は、芭蕉より明治ぽいから、次回とする、赤坂辺り中仙道は、一日掛けて。
今は、自然の中を選択する。この道路は初めての様だ。東から来た事は有った。
今は、南から北へ進む。川と駐車場前まできて、車から出ず進む。
取り敢えず「関が原」を目指す。関が原は「名神」では、何度と無く通った。
しかし、下から「名神」を見ながらは、初めてだ。関が原インターに近付につれ、
「此処は、1600年の折、津島が敵前突破の道か」と思いが沸く。
決戦地200メートルの標識も見た。以前この辺りまできた。そのときは鉄道と歩きで来た。
今回、車では、同じ所と感じれない。素通り。石田三成、小西行長、大谷吉継を歩いたのは、数年前。
農地を感じていたが、今回は、山道の道路と感じる。違う。
国道365号線を、素晴らしいと感じた。谷部を越えると、少し高地で、伊吹山に近い。で開けている。
田んぼが広い。名神と名神沿いの国道、新幹線とJR線しか知らなかった。
「関が原」の観念が変わった。
つまり、関が原とは、今まで関が原から米原辺り迄を山間と思っていた。
だが関が原は、「原のある関」という事だ。滋賀県に入れば、穀倉地帯だ。
今後長浜辺りに行くには、こちらを選ぼう。高速道が無料にでもなれば、別だが。
三成の石田村は素通りした。が、想像できる。秀吉が三成を見つけたのは、もっと平野だ。
三杯の茶で、山の中を考えていた。そう言えばそうだ。鷹狩などは、林でやるもので森の中では無い。
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この辺りでやつと旅が始まる。つまり、観光協会の「旗」が盛んである。
まず、姉川古戦場の旗と看板。バスも走ると書いてある。
姉川古戦場の看板を5、6箇所廻る。「血原」とかは、そのまま「血」が一面だったと、
思う。戦いは、信長としては珍しく、力攻めだろう。余り、戦略を感じない。
だから、首を取る合うから、血は流れるだろう。車で少し廻る。村が有り、田んぼが有り。
平野の中に村が成立する基は何か?。川(水)か?村の一ツに「三田町」がある。
土塁がある。残っている。寺の裏、公民館の隣、用水が有り、蛍が出るらしい、村の真ん中である。
土塁が残った理由を考えると、平野に困らない地区だろう。
村中の道は、車一台やっとだ、ということは、古い縄張りだろう。
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緒川城跡はもう想像しにくい。今の小学生が大人になる頃、壊されて無い様祈る。
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次、今回の一ツ、国友へ行く。会館の開館が、9時で一番乗り、思いより小さい。
司馬遼太郎の、「街道をいく」で出てきた。 姉川の堤から下り、石碑が彼方此方あり、「国友XX館跡」と町中ある。
車上ながらグルグルまわる。静かな町、コンビニなどない。
各々歴史が有りそうながら、生活もある様。昭和60年の図録を購入。未読。
此処の入館は共通パスポートで壱千円で。
(結局は三館で、900円分しか使用できなかったが)
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未だ十時過ぎだ。時間はある。365線に出、北上。
小谷を目指すが、標識で、「五先賢の館」とある。パスポートにある、で寄る。
町の知り合いらしき人や館長らしき人たち。
遠方の人は私だけの様、館長らしきが丁寧に説明してくれ恐縮する。
その話。市の姫が逃げ落ちた道があるという。「こじき道」とか。
又、「侍女の墓」と謂われる写真あり。三姫の侍女とも、義姉のものとも。
地元の言い伝えは大事にしたい。館長と同意見。
侍女の墓は歩いて見に行く。五輪塔の下4段しかない。想像より小さい。
あまり想像は膨らまない。此れ以外関連させるものが不足。
その他、片桐勝元関係資料。小堀遠州関係。あとは、知らない。
此処は今調べて小谷城跡から南東2キロ程。相当大きい谷である。
此処に文化がある。小室町に城跡あり、見晴らし良い。
この谷を納める城、今は、林の中に碑がある。寺も有り、門を改装中。(大田寺)
ただ、浅井能楽資料館は開いていない。
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さあ、本番の城跡一段と旗が増え、矢印も有りすぐ分かる。
案内に従い進む、山裾で有り。観光基地が出来ている。
有料駐車場に止め、柵内へ入る。急増の店屋が5,6軒有り、舞台も有るが、何もして無い。
城址は有る程度高い所と以前からきいていた。
バスが有り、中腹まで行くとの事。早速500円の切符を購入。
発車まで少し時間を潰す。戦国時代人が5人程おり 頼みとカメラへ収める。
ここで五目稲荷も腹に収める。売店も有るが特に欲しくない。
しかし、家に安物土産は、必要。とかして、出発の1時で、バスに乗り込む。
5分ほどで350メートル昇る、此処からガイド付きで歩く。
竹の杖も、用意有り。金吾丸から上はもう、歩くしかない。
昔は、馬ならもう少し上まで行ける。上に桜馬場もある。
石垣もある。算木積みの隅部。多分、近畿地方は石垣も早めに発達か。
道の土嚢は、指定史跡で階段など改造不可。
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だから、観光目当ては、不満でも。
歴史好きには、うれしい。
全体として、峰をそのまま利用した城郭。
ガイドは、日本一と言う。
そうも思う。しかし、
岐阜も良いと言っておいた。
ガイドの説明で、注目は。
本丸の発掘を昭和の終わり頃したらしいが、
そこで、墨の跡が無いとの事。
つまり、焼けてない。
火の中から秀吉が三姫を助ける部分は、
後の世の創作文学だ、多分秀吉の。
納得。
浅井長政自刃の場所は推定されている。
そうなんだろう。
城跡から、琵琶湖が見え、竹生島が見える。
手前下に虎御前山が見える。
ここからの眺めは、
1.竹生島に対する信仰。
2.虎御前山から、攻められても中々
落ちない自信が生まれる。
そんな事を思い巡らし、返りバスの乗る。
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バスを折り、後1ツの会場へ向かう。
其処は城跡の発掘物が少し展示してある。
ここは、谷に当たる、
見学後、地元の歴史家の本を買うが、
未だ読んでない。
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小谷城跡の地図を今年初めから、何度と無く
見て来ている。
谷を囲むように屋敷の有る図だ。
駐車場に戻り再度車で戻る。
谷を入る。
入り口辺りに「熊注意」があり、
車から出ない積もりで、谷に入る。
1キロ程は、車が行ける。
その後は、山道で、歩くのがやっとの道。
で、Uターン。
道沿いの石の説明版有り。
屋敷跡や、寺跡だ。
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時間は三時過ぎか。国道365で帰路に着く。関が原までは朝の道と同じ。
高原ながら、もう1部田植えが終わっている。この時まで、東浦では、見ていない。
今日(5月14日)時点では東浦でも数箇所田植え済田を見た。
関が原から国道21号に乗り換え。家康の桃配山に少し寄る。
後は、大垣辺りから南下し、川岸道路を使い、1号線を走り、
23号線を走り、知多半島道路から 自宅に帰る。暗くなる前着。

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