---------d20110522相良浜岡.mem ------------

町の歴史同好会で、
浜岡方面をウロウロしてきた。
マイクロバスを、借りての旅だから気楽なモノ。
朝、町の文化会館集合。
少し早めに行き散歩。
定刻通り出発。
補助席を使う盛況。
バスのマイク使用法が
始め不明であるが、
30分程格闘後、成功。
お疲れ様。
トイレ休憩は浜名湖SE。
9時頃。
天気は下り模様だが、当面雨でない。
9時半には、インターから出て、
マイクで解説が聞ける。
まず、相良城跡の博物館。
「相良」は、此処が発祥地。
九州島津の連枝と錯覚していた。
逆に鎌倉の頼朝に流されたか、
目付けとして送り込まれた様だ。
恩賞か、罰かは定説が無い。
何も知らない状態で、意見を言えば、
両方だろう。
頼朝としては
「駿府には置いて置けないが、
九州で頑張れ」程度の意味と考える。
江戸時代の相良は、田沼意次の城下町として有名。
本人は2度しか来ていない。領内観望の図が有る。それと城が完成の時と。
江戸で忙しい人だ。尤もだ。それに伊達の湊がある。あと、相良街道もある。
「賄賂」という言葉がすぐ出る。この言葉、町人の言葉と感じる。私は「金」の匂いを感じない。
湊にしても、街道にしても、築城にしても土木工事だ。
学芸員の人の説明では、領民を駆使した記録が無いと言う。他藩の普請で有ろう。
一般には、領主が年貢以外に助郷を課す。これが,重い。
米経済から、商品経済へ移行期である。時代の流れである。そういう問題である、
個人の良否でない。世間は、町人世界は、想像が好きだ。
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次に、「桜ヶ池」に行く。古い。江戸期のため池のイメージで無い。
説明看板に寄ると6世紀から始まる。10世紀に荒れ、11世紀に復興。
室町時代は今川の崇敬を受け、戦国時代は、武田・徳川の高天神城争奪の地であり、
江戸時代は徳川の崇敬を受るとある。
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次、御前崎灯台を見物。歴史というより、観光。だが、特に無い。曇りだし。
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ちょっと遅れて、飯。刺身大盛り、「磯亭」とやら。ビール1杯御馳走になる。
伊東さん有難う。
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次、浜岡原発。この辺りから、雨が降り出す。説明員が付いたので、質問が続いた。
構造もチャチ、砂浜も危ない。結局、危険だと感じた。東電福島と同様である。
今でも福島は解決できない。浜岡原発から10数キロで、新幹線や東名高速だ。
地震再来なら、日本麻痺だ。
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雨が激しくなり、高天神城祉中止。次回の楽しみとす。で、代官屋敷黒田邸を訪れる。
皮肉にも、雨上がる。代々武家で永禄年間此処に。四千石旗本本多日向守代官。
長屋門が素晴らしい。裏から見ると、ガレージ。母屋は現役住居。
水堀が有り、昔が偲ばれる。資料館も、研究者には貴重だろう。
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歩いて、歴史街道館へ。芝生があり、ここを街道パノラマとするが、不十分。
小高い丘があり、登ると展望きく。四千石か?
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返りは、浜名湖SE、刈谷SEに寄り、7時前に東浦着。
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