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相良浜岡
町の歴史同好会で、
浜岡方面をウロウロしてきた。
マイクロバスを、借りての旅だから気楽なモノ。
朝、町の文化会館集合。
少し早めに行き散歩。
定刻通り出発。
補助席を使う盛況。
バスのマイク使用法が
始め不明であるが、
30分程格闘後、成功。
お疲れ様。
トイレ休憩は浜名湖SE。
9時頃。
天気は下り模様だが、当面雨でない。
9時半には、インターから出て、
マイクで解説が聞ける。
まず、相良城跡の博物館。
「相良」は、此処が発祥地。
九州島津の連枝と錯覚していた。
逆に鎌倉の頼朝に流されたか、
目付けとして送り込まれた様だ。
恩賞か、罰かは定説が無い。
何も知らない状態で、意見を言えば、
両方だろう。
頼朝としては
「駿府には置いて置けないが、
九州で頑張れ」程度の意味と考える。
江戸時代の相良は、田沼意次の城下町として有名。
本人は2度しか来ていない。領内観望の図が有る。それと城が完成の時と。
江戸で忙しい人だ。尤もだ。それに伊達の湊がある。あと、相良街道もある。
「賄賂」という言葉がすぐ出る。この言葉、町人の言葉と感じる。私は「金」の匂いを感じない。
湊にしても、街道にしても、築城にしても土木工事だ。
学芸員の人の説明では、領民を駆使した記録が無いと言う。他藩の普請で有ろう。
一般には、領主が年貢以外に助郷を課す。これが,重い。
米経済から、商品経済へ移行期である。時代の流れである。そういう問題である、
個人の良否でない。世間は、町人世界は、想像が好きだ。
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次に、「桜ヶ池」に行く。古い。江戸期のため池のイメージで無い。
説明看板に寄ると6世紀から始まる。10世紀に荒れ、11世紀に復興。
室町時代は今川の崇敬を受け、戦国時代は、武田・徳川の高天神城争奪の地であり、
江戸時代は徳川の崇敬を受るとある。
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次、御前崎灯台を見物。歴史というより、観光。だが、特に無い。曇りだし。
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ちょっと遅れて、飯。刺身大盛り、「磯亭」とやら。ビール1杯御馳走になる。
伊東さん有難う。
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次、浜岡原発。この辺りから、雨が降り出す。説明員が付いたので、質問が続いた。
構造もチャチ、砂浜も危ない。結局、危険だと感じた。東電福島と同様である。
今でも福島は解決できない。浜岡原発から10数キロで、新幹線や東名高速だ。
地震再来なら、日本麻痺だ。
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雨が激しくなり、高天神城祉中止。次回の楽しみとす。で、代官屋敷黒田邸を訪れる。
皮肉にも、雨上がる。代々武家で永禄年間此処に。四千石旗本本多日向守代官。
長屋門が素晴らしい。裏から見ると、ガレージ。母屋は現役住居。
水堀が有り、昔が偲ばれる。資料館も、研究者には貴重だろう。
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歩いて、歴史街道館へ。芝生があり、ここを街道パノラマとするが、不十分。
小高い丘があり、登ると展望きく。四千石か?
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返りは、浜名湖SE、刈谷SEに寄り、7時前に東浦着。
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