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常陸西山荘
東浦の石浜散歩(2011/05/28)が中止になる。
理由は台風接近の雨。
その中、中部空港から、宮城空港向け出発。
え?飛行機、飛ぶの?
不安の中、定刻通り離陸。
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今回は、気楽な一人旅では無い。
3月11日、地震と津波。
その次の週、行く積もりであった。
子どもの寮は立ち入り禁止、体育館住まい。
飛行機は飛び始め、行けない事は無かった。
が、電気が回復しても、水は給水状態。
この時点では、迷惑を掛けるだけ。解約。
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名古屋<ー>宮城路線は、始まったばかり。
だが、5月一ぱいで閉鎖。
東北復興の為にも再開を望む。
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水戸よりもう少し北の日立市に行く。
その前に、西隣の西山荘に寄る訳だ。
道路から見ると時々ブルーシートの屋根の家がある。
特に、棟の破壊が多い様だ。
もうあれから80日位経過した。
道路も、通行止めの箇所がある。迂回もする。
ライフラインの復旧が出来たら、今度は、復旧でなく、
復興ですべきと感じる。
日本という国、考えなおす時の様だ。
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史跡なども、閉館中がある。西山荘に着き、駐車場前の土産物屋も、屋根にブルーシート
入り口からは、谷を上る感じである。
池があり、鯉がいる。外の池には、杜若。花には、少し早いが、青い花。
思うに、江戸時代は米が採れそうだ。渓流沿いを登る。時代を感じる杉も有る。
開けた所は、梅林。
建物は、江戸後期の物らしい。充分、昔を偲べる。縄張りを考えると、光圀時代と大差ないと思う。
平地は以外と少ない。つまり、大勢が集まるのは無いだろう。
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光圀を考えたい。文学「水戸黄門」を生み出すのに充分な材料が有る。
此処では、亡くなる前の10年間。領内に限るが、方々訪ねたらしい。年貢も納めたらしい。
その中で、勉強をしている。助さん(小姓頭、佐々介三郎)が、手伝う。
この主従関係だが、「水戸黄門」程気楽では無くとも、上下関係は有るだろう、
が、信頼関係は有っただろう。日本史の勉強に、やりがいを感じ、生涯を閉じただろう。
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自分が手本、師匠として、生きたい。繰り返しになるが、今こそ日本を考えるべき時だ。
戦国時代、江戸時代、明治、戦前、戦中、戦後、復興、高度成長、格差社会、
各々の時代は、それなりの価値観が有り、それは「損得」だけで無い。
「正義」、「恥」、「美」、「平和」、「民主」
東北のニュースを見ていて、日本人の価値観を考え直している処です。
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翌日、益々台風が近ずき、茨城空港の説明では、「羽田止まりの可能性有り」の条件付きで搭乗。
雲の上の明るさに祈りながら、一時間程遅れながら、中部空港着。
お疲れ様。
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