-----d20110602清洲.mem--------------------- 清洲
朝から雨。
数日前から、
6月2日の天気を気にした。
京都も一様候補だった。
でも、雨予想。
午後、古文書の予定。
清洲のHPで、
行事の事は知っていた。
天正10年6月2は、
歴史好きの人は有名な日だ。
つまり、本能寺の変。
雨の中、7時家発。
経路は、1ヶ月程前に
名環二道路の、
大高<==>上社が
開通していたので
使いたいと考えていた。
道路の壁が高い。
雨で良く見えない。
後は、トンネルが殆ど。
大森辺りから渋滞。
結局、清洲の駐車場は、
8時半着。
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9時半から慰霊祭。
大分早い。
9時から、城や展示館開館。
行動を迷う。
雨の中、慰霊祭の準備を見学。
テントの下、イスは既に並べてある。
供え物はスイカ、バナナ、魚(鯛?)、米、昆布、酒、餅、スルメ、椎茸、他
観光協会の人か、警備が続く。時間が有る。
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清洲
五条川を渡る、9時前。
休憩所が出来ている。
9時、展示館に入る。
山形から、
旅行中の人に会う。
昨日名古屋城、
明日岐阜城らしい。
800円の所、
共通券は700円。
で、展示館ノミは500円で、
「城と反対でないの」
内容と金額はそんな感じを持つ。
30分有れば充分。
主に、NHKの「江」の衣装。
信長の衣装は、
じっくり見る。
案内嬢と感想を述べあう。
「江」の内容は、
反対意見があろうが、
美術関係は、
「良い」と思う。
その他は余り見ないが、
信長は良い。
九尺槍、唐冠、弓懸、
腰刀、霞柄小袖、紋袴、
偽者とは、近くで見れば分かる。
でも、テレビでは
「信長」が見えた。
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清洲
九時までに、
再度橋を渡る。
祝詞が始まった。
全員起立後、着席。
関係者以外は、
追っかけか、歴女か。
俺も、追っかけか。
中京テレビも居た。
信長(名古屋武将隊)も
前列に座っている。
列席者名を聞くと、
清洲観光関係のみ。
当然、織田家関係は居ない。
少しは、期待していた。
式は終わり。
信長にTVがインタビュー。
命日に、本人に聞く。??
俺は周りに居る。
(返りテレビを見ると、
「俺」が居る、
娘は分かった)
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雨で会場移動、
市民会館へ
15分は、信長太鼓。
ロビーで、清洲の
忍者女、剣豪女とくつろぐ。
10時半から、入場。ステージは 五木瓜紋の幕。参武将の挨拶。
信長:桶狭間出陣 // 秀吉:清洲会議 // 家康:関が原,---------
信長の素顔を後から調べると劇団の旗揚げし座長だ、まあ良い。
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帰る前に、城の登城券が余るので、使う。取り敢えず、最上階へ。
この程度でも、エレベーターが欲しい。余り以前と変わり無いようだ。
桶狭間出陣のジオラマが無いか。以前、農姫が気に係っていた。すっきりする。
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大手門で、振り返り再度、城を見上げ。帰ろうとすると、先程の慰霊祭の時、少し話した、
清洲ガイドの婦人が、俺を探していたという。
会って、再度、ボランテアガイドをお互い頑張ろうと、
話しながら橋を渡る。少し話して分かれた。
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11時半頃駐車場出る。
帰路は、名古屋高速1本で、降りてから、大府で「すき家」で、半田亀崎へ急ぐ
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夕方TVニュースで、見る。余りはっきり俺は見えない。
HPで、中京テレビを再確認するが、よく分からない。ああ
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「信長や
  あめが下しる
   清洲城」

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