-----d20110616信長探.mem---
長興寺
信長探しである。
今回は、逃がした件。
去る3月豊田の
郷土資料館で
展覧会が有った。
展示品に、
「紙本着色信長像」
が、有った。
豊田市の長興寺所蔵。
時:天正11年。
施主:衣城城代
 余語久三郎正勝
作者:狩野派
国重要文化財
5年ぶり公開
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以上が、主な仕様だ。
信長を想像すると、
多くの人が想像する像。
桐紋で、私など以前から
「なぜ、桐紋?」
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「裃」も、考えると
似合わない。
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顔、多分似ているだろう。
でも、余語正勝が、
直面をどれ程見たのだろう。
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想像は、疑問が膨らむ。
光秀は??
秀吉は??
家康は??
簡単に割り切れない。
歴史は、疑問である。(単なる教養で終わらない)
此を見るとき、個々で考えて欲しい。
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仕えていた時より、「御他界」後、「天正十一年六月二日」に偲ぶ思いで描く物だろう。
少し美化し、今を考える時、画像と対話したと思う。
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今年は、「江」の年。原作・脚本の田渕久美子が全部で無い。豊川悦司が自分で像を描く。
NHKが考え、関連の地区が考え、(大野町、長浜市、清洲市、他)最終は視聴者。
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さて、六月16日である。曇り、朝9時前出立。取り敢えず豊田市街を目指す。
国道155号は初めバイパス、次旧道で行く。カーナビに「長興寺町」を登録で進む。
豊田警察所北辺りに出る。此処から、東方向は土手が見え田舎である。
土手は、矢作川の堤は想像できる。田んぼの中を進むと堤前で、大きな屋根が見えた。
「此れか」と思い進むと違った。自転車の人に少し訪ねる。又、元に戻るとすぐあった。
地理を考える。四百年前の。川に堤防が無い時代は、田んぼの中に寺はおかしい。
長興寺は、「矢作川の岸に丘が有り」そこだ。
挙母城(衣城・七州城・豊田市小坂本町7)衣城が位置がかわらないなら、
ほぼ南東3キロか。丁度良い。参拝も、見回りにも。この頃の寺は、「砦」の役目も兼ねる。
境内は普通の寺。伝説が有り、その鐘も見る。物としての「鐘」は、極普通。
只、伝説は面白いから、興味有れば聞いて。
本殿前の説明板を読む。豊田市教育委員会の日付けは無いが、そこの「寺宝」2番目に「信長像」があるが、
肩書きが無い。
1番目の「仏涅槃像」は、国指定文化財だ。前に書いたが今は、国重要文化財だ。
この数年、「信長」は注目されている。近くの村社八幡神社がある。此処も昔は境内だろう。
つまり、この川沿いの丘すべてが境内。で、砦だろう。
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衣城はどこか江戸時代は「豊田市小坂本町7」だが、室町時代は「豊田市金谷町1丁目」らしい
----1時間ほどの散策で有った。
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