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高浜
暑中お見舞い申しあげます。
という書始めが、
似合う。
この日も暑い1日。
6月だよ。
前日予報は曇、
だった筈。
朝、「うのはな館」からの
眺めは、完全に夏。
青い空に、田んぼ。
マイクロバスに乗り、
「暑いね」と、
言っている間に、
もう現地。
隣町だが、
川(衣ヶ浦)を
越える事で
遠く感じる。
着くと法被の2人。
法被の方が、
古さを感じる。
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古社に入り、挨拶。
木陰がうれしい。
広い。
高浜と言う地名。
海は、特に見えないが、
感じる。
浜といっても、
高さ、標高がある。 全国に「x浜」の地名があり、(美浜、吉浜、、、)
高浜という地名も多くあろう。高台と言える。
西は海、北は吉浜、南は焼物美術館辺りで低い、渡しがある。
昔は浜。浜地蔵が有るから此処まで浜(海)。
東は、名鉄駅「高浜港」までしか歩かないが、この更に東は、低地の筈。
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神社の境内が広い。というか、百姓的の発想では、広すぎる。
此処で、「米を作る」という発想が無い。馬がいたらしい。農耕馬で無い。荷馬車用馬。
祭り用馬場が広い。馬頭観音堂がある。此処の馬は「木造」である。少し考察がいる。
こんな考えで、300年、500年前を考えると、丘の上に窯があり、そこから煙が上がる。
松林が有り、此れを燃料とする。水は、余り無い、井戸を掘る。
瓦を焼き、馬で湊まで運び、帰りに水、燃料、米を積んでくる。
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瓦が、高級品から、少し庶民に近づくのは、確か吉宗の頃、江戸の火事対策と記憶する。
それまでは、板葺き、藁葺き。藁に火の粉がくればすぐ燃える。
数年前、武豊の方で、藁葺きの寺を見た。
もう瓦葺きに代わっているはず。家が建て込むので、火事が気になる。
碧南に比べ、此処は「鬼師」の村である。量産より、芸術だ、基本的に上品だ。
時の流れで、変化もする。江戸から明治、大正、昭和。
どの屋根がどの時代か。ただ、余り古いとは感じない。 100年前後か寿命もある。人工3万の市は、今後どう生きる。
------==========---- 刈谷
昼めしの為、移動。吉浜へ。
昔は海と思える国道を東へ抜け少しのぼる
吉浜も高浜市だ。村を感じれる。
鳥飯300円がうれしい。
村を大切に思う心の値段だ。
こんな村が本当は住み良い所かもしれない。
(都会は、何かあせっている)
暑い中ぶらつく。近頃、誰もいない村が多いが、時々人に会う。
西に寺が有りそこの浦へ行くと、立て札があり。
貝塚とある、井戸跡とある。縄文からの歴史の場所だろう。
遠浅の海を歩く縄文人が浮かぶ。
この村は、弥生時代の稲を感じない。
庭に畑を作る人の村か
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険見橋を渡る刈谷へ。
だが、バスの中では、
「此処も海」。
それは何時頃の話?。
川を渡ると田んぼだ、
相当広い。
田んぼの向こうの丘の上が
「りょう厳寺」
曹洞宗。
本堂に入りお参りができる。
於大の預け物は拝見できない。
機会があれば、
是非拝見したい。
松平を感じるものが有るだろうに「松平」のものは、置いて行くが、
「竹千代」の物は、預けないで持っていたか。(その辺は、阿久比で)
(信元)水野墓にお参り。以前一人で来た事が有り。何もわからないと感じていた。
昭和39年の配置図を頂く。合掌。
ただ、暑さは並でなく、長時間になれば熱中症が心配されるほど、
バスの冷房に感謝しながら、「椎の木屋敷」へ。
「於大が棲んだ」という事は、刈谷藩としてドウ扱えば良いのか。
神君生母で、幕府に対して、粗略に扱えば、其だけで、藩取り潰しだろう。
しかし、建物は古くなれば痛むし。
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此処からは江戸時代の町の話である。緒川村が「町」をいくら真似ても、だめ。
町の話は、又ね。兎に角暑いのである。城町図書館が、標高は最も高そうである。
亀城小の塀沿いを歩き、大手門を確認し、郷土資料館で、城を確認し。
城跡を歩き、バスで帰る。駐車場近くはマンションの建設がはじまる。
又、江戸は遠くなりそう。車窓に「熊」渡し跡を確認し帰路となる。
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