更新2011年7月26日
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ガイド養成講習最終回
先週に続き、地区残り3で完了。つまり、石浜、生路、藤江。
何れにしても、江戸時代は村である。だが、その前後は違う。
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生路は塩で、全国に誇れる。少なくとも知多半島では有名だ。
塩だけに限ると、塩釜(宮城県)。塩竈市と書く。
今は、浦戸地区などは津波浸水地域が大変だ。 ここの方が有名である。
藻塩だから、時代が違うか?。源融が、京3条辺りで摂津(大阪)の海水を運ばせ、
塩作りを楽しんだ。
忠臣蔵の塩は、フィクションらしいので、考えない。
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生路塩を考える。概説は数回聞いた。
方向を変える、知多半島単位で思う。奈良時代、知多半島は税として何か。租庸調。
米を納めるには少し遠いし、米は取れない。労働は、兵役(防人)は、篠島は鯛か。伊勢はアワビか。
大和朝廷に属せば、必ず税は掛けられる。
地形から、考えると塩しか考えられない。
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東寺と云えば、空海だが、その辺りは、司馬本「空海の風景」を読み合い論じたい。
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石浜は、水関係で「人」が出てくるが、尾張藩の関係であり、陳情としてであり、
農民同士が取り合いで争いがあると言うこと、江戸時代、「雨乞神事」が多いが、神に祈るより、
隣に水があれば、その方が現実的だ。
今回出た人は、いつも出る人だが余り知らない。
どうも、顔が浮かばない。浮かんでも、御殿の隅の控えの間で、こそこそ話す姿である、
漫画か、寸劇で表現すると、。。。誰か、小説にでもするか
--------------人について。
今、日高??が、ワシントンにいるとか、落語家の卵が、石浜から出てる。
そんな事の方も、どうだろう。
今の現役が50年後に歴史になりそうな人も大事だ。
------------プレゼン
----石浜
は、スクリーンを使用。
そうなんだ、ここにはパソコン画像をプロジェクター表示出切るのだ
赤ラインで指し示し。但し、レ〆無し。紙は地図一枚。
d20110803講師東浦 ----生路
ここは従来通り紙。
---藤江
ここもスクリーンを使用。但しスクリーンと同様の紙を受け取る。スクリーンは一部づつ表示。
確か、ウィンドウズでも、プロフェッショナル版にプレゼンソフトがあった。
調べると「Office PowerPoint 2010 通常版\15,540(税込)」
多分これでは無いようだ、それなりのソフトが有るのだろう。
最近は色々出てきた。ソフトは、どれでも良い。これからの物だ。
記録すべきは、小学生のように、其々の紙を読むではなく、一ツの画像を見つめることだ。
江戸時代、四書五経はが在り、それを正確に読める人が秀才だった。この傾向は、昭和戦後も同じ。
違うのが、安土桃山時代、幕末明治維新だ。答えは無い。自分で作る。
「天皇制と天下布武」、「攘夷と御一新」。信長も、西郷隆盛も、自分で答えを模索した。
たまたま勝ち、たまたま負ける。
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皆で、文字を読むと、それを理解して、理解度を比較したがる。
これは私だけか。「私は、これも知っている」と。---
もっと、いろんな考えを持ちたい。
例えば、生路の三白の砂糖の原田喜左衛門だが、今の小学生は、どういう意見か聞きたい。
事業は成功し、家系は失敗する事をどう思う。
元禄から享保の頃、各藩、商品経済を指向する。成功する者の影に失敗者が当然でる。
地方では、藩の影響が大きいが、大阪などは、もう少し、自由に動く。大商人が出る。
藩を今の中国共産党がだぶる。(飛躍過ぎ)
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