更新2011年8月03日

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昨日8月2日火曜、7時半半田狩宿プラザへ。半田ガイド養成講座の受講だ。
実は先週もあったが、忘れていた。で、今回は、新美南吉の講座となる。
岩滑地区を2回で講習すると、半分は南吉となろう。半田市全体でも、半分は南吉で良い位。
全国的知名度では、そうだろう。知多半島地区で言えば、岩滑地区の半分でも良いだろう。
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南吉の名前だが、本名は「正八」だ、是は前に教えてもらった。
ただ、ではなぜ「南吉」かは、疑問に思っていた。今回、一説を聞いた。
南吉の憧れの人の名前が「キモト、ミナコ」と云い。
英語読みの様にファミリーネームを後にし、「ミナコ、キモト」
それが「みな、き」と変化。
次に、「みなみ、きち」、そして「南吉」となる。
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こういう説は、これ以上調べようが無いと思う。
これを信じるかどうかは、各個人にまかされる。わたしは、信じる。
20才前後の男のマドンナに対する思いはこんな物だ。
是だけで、この一時間半の話が、有意義であった。
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思い出だが、小生が未だ小学生の頃、教科書で読んだのは「手袋を買いに」である。
今も、その手袋をした狐の挿絵を覚えている。
子狐、親狐の会話がよみがえる。親が手の冷たい子供を思う心と、出す不安が蘇る。
「権ぎつね」の方は、最近である。何れにしても、南吉の物を読もうと思う。
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宿題の「榊原駒太朗」については、全く未知。HPをみても分らない。
単なる郷土の偉人か、それ以上か、調べよう。
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