戻る



愛知県が6人の姫を選んだ。
いろんな意見があろう。(あの人が無いとか、時代が違うとか
意見に対し県の答えが聞きたい。
とりあえず認めよう。サイは投げられた(発表は済んだ)
どうこれを利用しようか?である。
男達の好き嫌いは、後にしてくれ。
2011年08月15日現在で関連HPを細かくみても、
その辺り不明である。
今後、県民の我々が要求して自分に流れを引く事が大事だ


於大 於大 伝通院
家康生母
享禄元年(1528年) - 慶長7年8月28日(1602年10月13日)



吉乃 吉乃
織田信長の側室で、信忠・信雄・徳姫(見星院)の母
享禄元年(1528年)? - 永禄9年5月13日(1566年5月31日)



市 市 自性院微妙浄法大姉、東禅院殿直伝貞正大姉、自性院照月宗貞
浅井長政の妻、柴田勝家の妻、信長の妹
天文16年(1547年)? - 天正11年4月24日(1583年6月14日)



松 松 芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼
前田利家の正室
天文16年7月9日(1547年7月25日) - 元和3年7月16日(1617年8月17日)



おね おね 高台院
豊臣秀吉の正室
天文16年(1547年)?- 寛永元年9月6日(1624年10月17日))



江 江、小督 、江与, 崇源院
浅井長政の三女 秀忠の正室
天正元年(1573年) - 寛永3年9月15日(1626年11月3日))



考える。人選 先ず、「江」は分る。天下のNHKが大河で宣伝中だ。
この中で、「市」は前半の中心人物で、「おね」も8月現在現役でまだ死なない。
「まつ」も以前、大河の主人公である。私自身、南区辺りを歩いた覚えがある。 以上だけだとNHKにかたよる。残り2人。於大、吉乃。此処からが問題である。
「吉乃」が居て、「濃」が居ない。信長の女を考えて、信長の性格の認識が変わったと考えたい。
清洲城は、本能寺の後の清洲会議も有名だが、桶狭間の戦いの前の居城としても知られている。
東浦町の歴史講座でも、以前バスで、清洲城ー>熱田社ー>桶狭間を廻ったことがある。
この時、城の3階当たりに出陣の幸若・敦盛場面があッた。此処に姫が居り、立て札があり、
そこに「濃姫」と書いてあった。有名な場面である。
以前の「信長」物は、此の場面が必ずあった。「信長公記」に「敦盛」と書いてあるが、
「濃姫」と書いてはない。つまり、「濃姫」は文学であり、それは過去の文である。
「吉乃」の方が、今の歴史に近い。
江南へ以前行った時、市の人は「側室」でなく「室」と呼ぶ事を、勧める。
さて、最後の一人「於大」。此れは、東浦町は勿論、刈谷、阿久比、岡崎で、調べられている。
愛知の女で、忘れてはいけない人だが、その認識は低い。これからしらべが大切だ。
だから、リストアップに入った事を喜び、チャンスだと、利用すべきだと思う。
---------時代についても考えたいが、女の生年などは不明が多い。それは上で見てみて。
---------当面のスケジュールが下だ。良い悪いは、とりあえず一度お会いしてから考えたい。
08/20(土) 第45回 常滑焼まつり 9:00〜 常滑市
08/20(土) 夏休み清洲城イベント 17:00〜 清洲城
08/21(日) 犬山歩行者天国 13:00〜14:00 城前広場
08/23(火) 県政懇親会(非公開) 14:00〜14:15 THE KAWABUN
08/25(木) 犬山市表敬訪問(非公開) 11:00〜 犬山市役所他
08/26(金) 岡崎城 11:00〜 岡崎公園内
08/28(日) 日本どまん中まつり 18:00〜 久屋大通公園会場
---------上の説明でも「本人の名前」すら、異説があるが、特定するのに 「男」の何々と言わなければならない。「誰々の妻とか」,女として「幸せ」は、誰かを今後議論されるだろう

追伸:序で乍、画像について1言。上は、全てPngファイルである。白を透明色に指定した
サイズは112X76であまり大きく無い。24ビットフルカラーである。だから、画像の劣化は無い

於大本物
少し、「日誌」から「東浦」へ戻りました。急いで改造したので、ミスがあるかも。見つけたら乞う連絡
そろそろお盆です。では