----no004065--2011 08月 21日---
町の歴史同好会に去年から会員になつている。
月1回の活動である。8月も欠席してしまった。
実は、6月7月も欠席だ。6月7月は、会合日を知っていたが、
半田の講習関係と重なり、半田を取った。
今回8月は忘れていた。
わざわざ、その資料を持って着てくれた。(8月22日)
感謝、恐縮。
序でに、話していく。此の人、水野家、徳川家等の家系に委しい。
俺的には、個々人が趣味であり、家系は疎い。
だから、家系を調べる場合、頼りになる。江戸時代の水野は、特に委しい。
資料をまとめて、公表してほしいと思う。
「東浦ガイドも学べば・・」と考えている様だ。此処だ。
個々に、勉強している。これを何とか、結びつけると良いと思う。
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話を大野に移す。ここにHPがあり、今燃えている。
意見を書き、それにコメントを書き、・・・
大野の輪が、広がる・・・と見える。
外部(市外)の意見もあり、俺も書いた事が有る。
大野と江の関係、独断で歴史的にみて、そう深い関係と思えない。
それでも燃えている、佐治の平が来た、又、愛知県の江が来た。
関心が高まりその後で、詳しく歴史考証しても良い。
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改めて「歴史」とはと、考えを述べる。
「歴史」は、その時代が作る。「真実」は彼方先に有る。つまり、断定したくない。
たとえば、「信長は怖い」。これは、一つの意見で有り、そうかも知れない。
これは、「怖い」と言った人の意見で、何故と聞く。すると事実を並べる。
で、事実を検証する。この検証の過程が歴史と思う。
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東浦に堅雄堂棟札がある「吾に功徳無く・・・」と、
俺は心が素直でなく、裏を探す。
「功徳無く」とは、廻りに能力が有るのに、日の当たらない人が居るのか・・・
大名藩主という立場を喜んでの言葉か・・・。
江戸時代に入ると、儒教が盛んになる。先祖、家系という事が大事になる。
儒教を大切と考えたと思わせる為、之を建てたか・・「堅雄」の言葉の初めは誰か?
昭和以降この道徳が変質してくる。どう、水野家に改修させるか、町でやるか。
考えると切りが無い。止めよう。
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此の会は当日の歴史新聞もコピーをもらえる。が、第3木曜では、1日から14日は無いし、
そろそろ、変更時期らしい
---------参照----------------
http://kagiya.rakurakuhp.net/i_344305.htm

(ロ)『水野氏法名一覧』
寛政十二年四月 現住等玄記

天文十二年七月十二日 法名 長江院殿大渓堅雄大居士
  水野右衛門大夫忠政贈下野守
  是者東照御神君之御祖父也、南英代水野和泉守寄附米百俵、
  充渓堅雄大居士宗盛大姉両御祠堂資

弘治二年三月二十日 法名 春江全芳禅定門 
  水野右衛門大夫殿御子、水野和泉守殿一貫文施入

  慶長五年三月二十八日 法名 照光院殿月叟芳心居士
  水野織部正源忠守、長江院殿堅雄大居士の三男 萬松院殿の父

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