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--no004200--2011 08月 26日---
資料から肖像を一枚取った。
右だ。少し板垣退助を思い出した。
100円札だ。だが、もっと可愛い。
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以前書いたが、半田講習で榊原駒太郎」を調べる事に、なっている。
半田の研修会に出、前回欠席の為、
今回、榊原駒太郎の資料を受け取る。
A3が3枚。コピー代30円。
何かの本のコピーであろう。12頁分。
第四節人物の@である。Aは森信三とあるから、
半田よりもう少し狭い地区、岩滑辺り範囲の資料でしょう。
それを帰ってから寝ながら読んだ。
朝起き、パソコンでインターネットで少し調べて、
今、此れを書き、まとめている。
インターネットでは、明治の本として「煙草ト湿熱ノ関係」で、
3件ほどヒット。外は、半田農業高等学校初代校長でヒット。
まあ、そんな処。だから、インターネットは当てにしない。
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受け取資料で考察する。
祖父は船頭で遭難経験あり、家は黒鍬街道沿いだった。
だから、耳情報は豊富だろう。
漢学を学ぶが、この師匠は幕末から志士の気分であり、
殖産を教えただろう。
養蚕、みかん、タバコなど、農業を考えた人だ。
この辺り、明治の人の進んだ人に、良くある様に思う。
又、一方、書き物も多い。それは、交友関係から生まれたと考える。
大久保利通、板垣退助、松方正義の名も見える。
そう考えると、性格は、「農民」でない。
祖父の船乗りの様に「海洋民・南方系」と考える。(家康系と言うより、信長系である)
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もう一つ、目立つことに、引越しが多い、岐阜、静岡、鳥取、宮崎、鹿児島、
おいおい、鉄道が引けて、その最先端まで出かけた様に見える。
氏の年表と交通の歴史を比べると面白いかも??
つまり、当時の日本の全体像を掴んで居た、最前線の人だろう。郷土の偉人である。
以下、インターネット調を載せる。
===d20110827榊原駒太郎HP.mem====マトメ================
煙草ト湿熱ノ関係 //鹿児島:榊原駒太郎,明41.12
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タイトル 煙草ト湿熱ノ関係
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煙草耕作便覽: 煙草ト湿熱ノ関係//榊原駒太郎//0 レビュー//明治文献資料刊行会, 1971
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農事講習所を知多郡簡易農学校//愛知県立半田農業高等学校
代 期  間 氏    名 //初  代 明治32年7月〜34年3月 榊原 駒太郎
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