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--no004210--2011 08月 26日---
エイデンから、
仮宿プラザへ行き、
会場は此処で無いと分り、
クラシチー市民活動ルームへ急いだ。間に合う。
資料は前回分の続きから。
出生の話から小学時代がテーマだ。
先生が綴り方を褒めている。
先生が日本の南吉に成るまで見通したか否かは、
疑問だが、褒める事は、良い事だ。
特に、身体が平均以下の場合、効果有りそうだ。
本は読んだんだろう。
今、疑問は答辞の中の俳句。
少し調べ分らない。
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「タンポポや・幾日踏まれて・今日の花」
「踏まれても・根強く忍べ・道草の・やがて花咲く・春は来るらむ」
詠み人不明 → 
前段の俳句と、後段の短歌を併せて言うことが多いようです。
明治以前の物ではないと思う。
正岡子規より後だろう。
南吉作を否定した人教えて「誰の作?」
「春風」も読むのを聞く。その中で、「藤車」とある。
此れも調べて分らない。
(前回は「空気ポンプ」も読んだ。)
今回は小説「花を埋める」と「音ちゃんは豆を煮ていた」
南吉のイメージが膨らんだ。
今までは、「権狐」や「手袋を買いに」の童話作家だった。
これからは、小説家と扱おう。
「花を埋める」は短いが、実に示唆に富む。
「花」とは何か?「埋める」とは、?
「花」とは、「好きな女(ひと)」といえる。
「好きだった女」だろう。
問題は「埋める」である。
「あきらめた」と単純に割り切れない。
逆に言うと「書いたから」、
「あきらめよう」の決意かも知れない。
昭和14年26歳の時だ。
私は、「自分の結婚」を考えたかも知れないと思える。
150行程の短さだ。
「宝探し」に似た遊びだ。
男なら、金儲け的に考えるのが、宝探しだ。
此処は「花」探しだ。
ストーリで、「花」が見つけられない場面がある。
ここが問題だ。いずれ再度考えたい。
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「音ちゃんは豆を煮ていた」は少し長い。
講習では、はしょった。
先ほど通してよんだ。
「友」の妹に対する追憶だ。
初恋より前の時期の気持ちだ。
「憧れ」でもない。
異性の友情といえるか。
ただ、いえる事は、大人の感情でない。
大人が置いてきた感情を思い出させる。
「大人よ、読め!」
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南吉を読もう。

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