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----no004136--2011 09月 01日---
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半田亀崎の古文書の会の旅である。春は日帰り、秋は一泊。北陸行き。 本体は亀崎で集合し、緒川で途中拾ってくれると言う事で、比較的朝は余裕がある。
合わせの先輩の家へ。此処で車を駐車願う。着いて車から下りるも、早すぎる。 で、朝のシャッター、花壇の花をパチリ。 カメラの電池は余裕があると思っていたが、待ちの序での花を一枚撮ると、充電のランプ点灯。 一泊の旅の頭で、電池が不安。このカメラ、電池メータ、満タンか、要充電かで、中間の表示を見た事無い。 電源をコマメに切れば、多分大丈夫と考える事にする。 東北ぼボランチアの冊子を受け取り拝見。 出来立てほやほやの冊子。HPで文章は読んでいた。 だがこの時は写真が見えなかったが、冊子は、ちゃんとカラーである。
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無事マイクロバスに乗車、全員揃い、いよいよインターから知多半島道路へ。
幹事挨拶に続き、早速つまみ等、頂き乍、歓談。「台風は、帰るまでは大丈夫だろう」「そうだろう」等など。
「養老IC」「南条IC」を寄り、雨交じりの曇りの中、一行は進む。傘のお世話にならずに。
俺は、自分の意見を吐いていた。小谷のお城は・・・落城時、燃えたか、
東山君は、いい男過ぎるがそれで、映画「小川の辺」が分らん。とか、とか・・・。
今、考えると、酔って候。云いたい事言っていた。北近江の平野、近江と越前の国境の山地を通り、 越前平野を抜け、越前と加賀の国境は、丘陵程度の山路で有る。
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加賀百万石は、家康としても、そのまま保った。
が、越前に二男秀康を置くとは、三男秀忠との比較が良く言われるが、 加賀の押さえと考えれば、役目は軽くない。 秀康の嫡男松平忠直の方が問題なのだろう。そんな事は今回余り関係無い。 ただ、加賀と越前を旅した事が言いたいだけだ。
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最初に訪ねた処はは、安宅の関だ。此処は、小松市だ。川沿いに有る。河口に丘が有りそこだ。 バスを降りる前から、盛んに俺は、しゃべっていた。「平野の中に関所が??」と。 ----
「勧進帳」は歌舞伎で有り、文学だ。武蔵坊弁慶は居たのか?。 その前に、義経は「居た」。此れは事実で、誰も疑問は言わない。 が、行動は、何処までホンとか、これは相当もめそうだ。 この辺り、そお言えば、来年のNHK大河は「清盛」らしいので、来年再考しよう。
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河口の丘が、史跡「安宅の関」であり、松林が出来ている。丘を登る、歌碑がある。 「松たてる、安宅の砂丘、其の中に 、清きは文治、三年の関」(文治3年は1187年である。 )
 (與謝野 晶子、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日) 与謝野晶子が来ている。が、何時来たかが分らない。 反戦歌人として有名だが、「清き」という言葉に、「忠臣」の感じがする。
こんな感じの場所である。だが、市として町おこしは歌舞伎「勧進帳」. だが、ここを訪問する人は全て歌舞伎好きではない。だが、小松市が歌舞伎で頑張るのも良い。 此処で無く、市内には、歌碑「むざんやな甲のしたのきりぎりす 芭蕉」が有るらしい。  此方は斎藤別当実盛の遺品らしい。
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演劇論を少しブツ。能は、4、5人で頑張る。安宅は「直面」だが、 一般に面をつける。顔は創造、人数も「多い」と創造。 歌舞伎は、まあ良いが、テレビになると、じかに配役の顔が、違和感を感じる。イメージが壊れる。
今年のNHK「江」も、ついて行けるかい?。壊れるか。
NHKは、新しさで「江」を作り、小松市は「古さ」で、勧進帳を作る。少し違和感がある。
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帰宅後、調べると、河口の反対側が、安宅船時代の町らしい。機会が有れば、又行こう。
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序で乍、義経、弁慶の主従関係が、今、受け入れられるか? 主の為、主を打つ、のが美しい、弁慶=美しい。???秀吉が、光秀を打つ。主の為???。 そんな裏を知った江戸初期の町人は、弁慶=美しい」とした。武士には、嫌味でだろう。
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次、バスに乗り、食事処へ。ばすは山に入り、漁師の館へ。海は見えないが。 その後、体験屋形の谷だ。9月1日であるが、昨日8月まで、混んでいたらしいが、我がグループが、 独占気味だった。店の人の言葉が文節の終わりの発音に加賀を感じた。
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那谷寺を散策する。高野山真言宗別格本山だとさ。奏澄大師が千手観音を安置したのが始まりと言われる名刹。
芭蕉が参拝したことでも有名。琵琶湖の南の石山寺を思い出す。 そこまで広くなく、谷である、苔も多く自然である。
芭蕉は。「石山の 石より白し 秋の風」と読んだか?。白さはあまり感じない。苔の青さが美しい、 その上、少し蒸せる。加賀三代前田利常の影がある。が、利常の力は感じない。 寺より、山より、私は、谷を感じた。門前町が有るわけでなく、茶店のようなとこで、氷を頂く。 扇風機の前で、時間まで待つ。江本らしき人居り。
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粟津の宿は車で五分の処である。小さな温泉街か、宿の六階からは、それらしいものが見えない。 温泉も、多分循環だろう。家に比べて、広いのは良い。からだが一本の直線に出来る。 脱衣所の数に比べ余り人も見えない。
夕飯も充分乍、此方の胃袋が、それらを要求しない。バイキング方式
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その後、勉強会あり、雑談あり、雑談は、半田の話。半田の酒は、過去の話になる前に、
記録すべきは纏めるといいんだが。部屋に戻り、それでも十二時近くまで、駄弁るか??

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