----no004485--2011 09月 17日---
朝6時頃大雨が有った。「今日、ガイドは休みかな」と、又寝た。
8時過ぎに、いい天気。
で、起き、少し食べ、出かけた。
集合時間の9時半少し前。
「今日は暑そう」
事前連絡の外、刈谷の城、
門歩きの話も有る。
石浜保育園の方、南回りで出発。
このコースは、3度目位だが、
車道以外は、うろ覚えである。
池の脇の、国土地理院の設備は、
未だ新しいらしい。
宅地販売中がある。少しづつ変化する。
と、何時か、分らなくなる
此処では、「ガイド」が居て、伝承される。
町では、昔は、分らなくなるのが、普通か?
(以前、南区「呼次」辺り歩いて、土地の人に「昔、
渡し船を呼んだ。
だからの地名らしい。
あすこでも、海だ。
そういえば、夕べ、半田で、昭和13年頃の地図のコピーを見せてもらい、
「東浦も、消える前に地図を作れ」と言われた。)
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天気は良く、この辺りの地形は、変わったらしい話を聞く。
「ダンプ」道路と言われるほど、土を移動し、地形は変わったらしい。
なだらかに感じる此処は、前は、凹凸は有ったようだ、写真でも残さないと、2代先には消える。
旧町を通る。江戸明治である。未だ残る。(半田でも、旧家が、更地になり、新しい建築物が立つ。)
住人が二代ほどで、消えそうな気がする。(人家保存は難しい。神社に期待したい。)
東へ下り、駅に出る。石がある「なかね」と読める。 「石」で、記録される。保育園の辺りも「写真プレート付き石碑」でも無いと、 「山が有ったげな」程度しか、復元できないだろう。
新田から、西へ。登り。旧村のサイズを考える。 海岸線から、神社までが、村だろう。はば百メートル前後が村の範囲だろう。 「村」は、村中で、生活の殆どが済む共同体だろう。昔話の様な「村」だろう。
東浦が「五万」とは、相当大きいと考えるベキだろう。 半田の「南吉」まで、共同体は地区だった。 今は、「同窓」とか、「同僚」とか、「同趣味」の時代に変わりだしている。 ふるさととは、地区であろう・・・・
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