------------no.4712--------------2011/10/06------------------
町の歴史講座、現地調査日。
集合場所「卯のはな館」へ
出かける。
曇空。
何とか雨に降られない様に。
バスは来ていて、座る。
スタンプ満願の話です。
で、
全員にも参加希望方向となる。
出発。
先生の説明を聞きながら。
バスは座席余裕の様だ。
皆近い所。
で、すぐ着く。
まず、斎年寺。
丁寧な説明。
ここは、「佐治」と「雪舟」
本堂の利用の話も面白い。
つまり、
バレー(ダンス)と、
剣道場で、
活躍中の本堂。
今までは、
「ああ、コンクリートネ」と、
思っていたのが、
心が洗われた。
住職は、流暢な説明だが、先代の帰りの挨拶が、又、嬉しい。
大野」と言えば、お城。今回は全員、下から登城。階段を登ると、高さが実感できる。
郭跡と言うべき空間がある、公園化されているが、多分、江戸、明治時代は、畑であろう。
その前は、廓が在り、想像では、米蔵か、武器蔵か、馬場か、想像は広げれる。
只、残念な事は、張り紙に「寺宝展」の日ずけが、終わった後だ。
大野から、高速に乗り、墓へ。これは、案内無ければ、到底見つけれない所。有難い。
立派である。雨で、時間も無く、早々引き返すが、感慨に耽る暇無い。今振り返ると、・・・
地図で探す。豊浜湾の真北となる。急な斜面である、ジグザグに登るから感じないが。
300年前は、村の何処からでも拝めたかも。墓所は狭いが、墓石は大きい。
五万石の大名クラスと思う。
墓所入口に門がある、門までの道は昔、須佐保育園の方に有ったと考える。 「烏八臼」の言葉も、初めてだろうが、実物が見れて貴重だ。
バスは、飯屋に行く。ここはカメラを忘れて、写真無し。生簀もある。
師崎の波豆神社へ。「幡豆」では無い「波豆」だ。が、同じだろう。
峰である、堆積岩が剥き出しで見える。相当昔は、島だろう。 が、「波豆岬」の名だから、相当前に陸続きになっただろう。
船がここには着けないだろうが、何とか小舟を着け、見張り人だけがいたのだろう。 米と水だけは、何とか搬入しただろう。
今でも、使われない展望台があり、遠くから逆にここがわかる。崎に社は有る。「明神」だ。
数年前、隣に立体駐車場だでき、ここの御利益は、気分で減る。
只、どちらも、津波では、役不足だろう。
船乗り場で、スタンプ押す、六スタンプ完了。----------
海老せんべいの里で、試食して帰路、三時着。

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