------------no.4793--------------2011/10/12------------------
秋風に誘われ三河へ。
まあ、
昨日の続きである。
犬も歩けば・・
俺は車で。
何かにぶつかる。
取り敢えず、
一番近い、知立神社。
未訪問も近くでは、此処になる。
桶狭間辺は、近々行く予感がする。
で、後回し。
知立神社は、休息所にスタンプ有り。
知立神社は、何度でも来ている。
杜若の時だから、三ヶ月位有るか。
否、明治天皇関係はその後か。
落語がある様だが、有料。
2、3組みの親子、七五三が近い。
次、
一号線で、安城に向かう。
こちら経由は、あまり無い。
いつもは、自宅から東行き。
今は、北から訪ねる。
知った道を時々横切る事となる。
それも、新鮮だ。
石碑もある、で、寄る。
町に隠れる様にある。
後で、調べようとかんがえるが、ホントは、余り実現してない。
安城歴史館もよく行く。今回も、面白い事を、している。古地図だ。
少しみた。無料だし。(東浦の先を行く・・御免、卯の里館)
古地図と言うと、「城」「水、田」に分けれるか・?。
城は、戦争と行政に分けられる。つまり、戦いの為か、年貢取りの為か。それも面白い。
歴史の初期はそれで良い。城主より、家来が農民をどう、治めたかがきになりだす。
--------安い図録を買う。
ここまでは、生活範囲だ。
ここから、蒲郡安楽寺、岡崎法蔵寺へ行く。
少し距離が有る。蒲郡安楽寺は、始めてである。近くの楠の巨木が有り、そこは数年前行った。 そして、感動した。今回そこは寄らないが、それ以上の感動がある。安楽寺である。
寺域が広い。江戸時代が残っている。行くことを勧める。場所は山裾と言える。
安城から行くと、山道に入り、峠を越え、町まで、カーナビは誘い、町添いを走り、又、北へ、 つまり、山に向かう。
途中、町に向かう時、道路を作っていた。そのうち、ここも開発されてしまう、早く行こう。
東浦、阿久比の人は、知っている人は居るだろう。久松の墓がある。於大夫だ。
(男の説明で、女からの紹介も、時代である。佐治与九郎は、江の夫である・・の様に)
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入る前に、一周しようと考えた。山寺だから、道は生活地区と農業地区の境である。 西側は、川端の狭い道を通る羽目になる。一番外の駐車場に止め、境内に入る。 すると、境内に車が所々有る、つまり、本堂まで車で行ける。俺は歩く。
歩き出すと、読経が聞こえる。本堂で無い。横からである。つまり塔頭からだ。 塔頭が、両側に並んである。京都の寺の塔頭は、観光の感じだが、ここは生活の感じだ。 江戸時代と書いたのは、その事である。 塔頭に生活を感じ、こんなに多くの塔頭は何処に檀家が居るのか気になる。 阿久比などから毎月通うとも、思えない。 本堂西に、久松の墓が祀ってある。立派である。墓地は山を背にする。借景となる。 此処に、高架道路ができる前に行きたい。
スタンプは、本堂中にあり、上げてもらう。ついでに本堂を一周させて頂いた。 すごい、ここも感動。位牌が並んでいる。 この辺の住人は、すごい位牌を今でも作っているかもしれない。
家康が此処にあるのか。
次、地図は、カーナビしかない、少し迷いながら、岡崎の西の果て、法蔵寺へ。
前に二度程、行った。新撰組近藤勇の墓で有名か。それとも、東海道か。
国道一号と平行の道だが、道はわかるが、寺は工事中だった。裏山の崩れが心配しての工事だろう。 それも、わかるが、面影は段々無くなる。東海道は消えていく。
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西尾も考えたが、時間も遅いで、寄らなかった。

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