------------no.4809--------------2011/10/13------------------
夕方、否、夜。
半田ガイド研修行く
上半田に入る。
レンガ館。
住吉神社。
農学校。
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あとは、日程。
土曜に、亀崎ガイド。
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内容は、以上だろう。
最後、質問など有った。
上半田、下半田の境だ。名鉄線で分ける。が、公式回答か。
私も、質問した。何時、上、下と言い出したか??。
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これの感想を述べる。
村の発展である。村は、江戸時代五軒以上有ったと思う。 「五人組み」が、決まったから。隣は何してるがわかるくらいだろう。 (今、同じ町内でも、隣の人が分からない場合がある。)
つまり、村はかたまっていた。だから、隣村は、必ず間に、畑や田や林や川など有った。 村は、人が住むとこでまとまって居た。これが村だ。
太平洋ベルト地帯は、この境が無い。村だけで無い、町や市もそうだ。 桶狭間を歩いていて、マンホールの模様がいつの間にか変わって居る。 緑区のガイドも、或ときは、豊明を歩いている。
今更、上半田、下半田と区別の必要が有るか??。
これらの議論は東浦も有る。緒川と石浜の境は???。と
いいじゃないかそんな事。同じ市民、町民。
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住吉神社前、東側。ストンと落ちて、赤煉瓦前となる。ここが段丘だろう。 東は昔、海。つまり、赤煉瓦は海岸に建った。
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もう一ッ。半田は町民だけの町とか。大阪だって「殆ど町民、武士がいない」。 それより、大阪何か、町民でもない「店子」がおる。それは、市民権なし。 半田の農民は、市民権がある。

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