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------------no.4831-------2011/10/15-------
講習出席、半田福祉大
久し振り
夏以来。
出席も少ない感じ。
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内容は「神戸、和田崎、常夜灯」
知多と関係あるか。
しっかり聞いてない。
多分、受け取ったもので。
その控え。
要するに、知多の船が、兵庫まででかけていた、
大阪で無く、神戸。
大阪より港は、良いらしい。
それとも、田舎の船がここか。
現物はまだ有るらしい。
阪神の地震で、戸袋が壊れた。
でも、台座は残った。
何時か行こう。
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以下は、調べた物
神功皇后上陸の地・三石神社 傑作(0)
2009/8/22(土) 午後 0:27神戸物語兵庫県
JR兵庫駅から和田岬線9:10発の電車に乗った。
この和田岬線は朝と夕方の通勤時間帯にのみ運行される電車で、
乗った9:10発の電車は午前の最終電車だ。
終点の和田岬駅までの運行時間は約5分だった。
和田岬駅を降りると、すぐ目の前は三菱重工業神戸造船所だった。
更に奥には三菱電機神戸工場と工場が続いている。
昔は線路が造船所構内に入っていたという。
さて、JR和田岬駅の近くに「三石(ミツイシ)神社」がある。
神功皇后摂政元年(201)神功皇后三韓より凱旋の途、和田岬に上陸し、
神誨を得て、ここに三個に石を敷き祓所を設け、厳かに祭儀を執り行い、
各斎主に託して広田、生田、長田、住吉の神を、
神誨の地に祀らした、と伝える神社である。
もともとはもっと海側にあったのであるが、
明治39年(1906)三菱重工業神戸造船所が
設立されるに伴い、現在地に移った。
           社 頭
社頭の(向かって)右手には「神功皇后上陸の地」の標石が建っていた。
鳥居をくぐり、参道の突き当たりには稲荷神社があった。社殿は右手にあり、
また、三石の旧蹟は稲荷神社の近くにあった。
三石の旧蹟
神功皇后が祭儀を執り行った三個の石。
推古天皇は御世十年(602)2月新羅を撃たんとして、
舟師をこの津より出発するに当り、神部に勅して、 神宮皇后の神霊を祀って戦勝を願った。
      社 殿
祭神は神功皇后、応神天皇、天照皇大神、素盞男命。
天平年間(730年頃)行基が和田泊を興した時、
神功皇后の神誨により祠を建てた。
社殿の前には神功皇后像(平成5年建立)、と
応神天皇を抱いた武内宿弥像(平成18年建立)が建っていた。

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