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-----no.4949---2011/11/01---
さんぽの定例会後、町の歴史展示会に行きました。
この記事を書く前に、少し疲れましたので、寝ます。23時も廻りました。お休み。又、あした。
定例会の後、
会場変更の理由の
展覧会に出かける。
掛馬、
おまんとう、
山車
此の三点と言える。

此の辺は、
実際に行って
見て欲しい。
私も知りたい事は多いが、余り知らない。
掛馬は明治以降らしい。
何故、と考える。
多分、
時代だと考えたい。
農民が居なくなった。
そして、
富国強兵。
全て、男子は「兵隊さん」の明治政府の方針。

お馬塔は、江戸時代と言える。
農民の祭りだろう、
農民が何を飾るか。
絵で見る限り、
御幣が有り
松がある。
これこそ農民だ。
松より、
稲の方が良い様に思うが、
その辺は今後の問題として
残る。
只、
馬の飾りが何か。
武士の戦である。

此処で考える。
豊臣の頃、刀刈りがある。
家康は「兵農分離政策」を勧めた。
以後、江戸時代は続けた。
町人は農民の下とした。
つまり、農民は武士の下で、
町民の上だ。

その気分があろう。
大阪城がある。
ほんとに、
名古屋城では無い??
名古屋城なら、金鯱だ、
無い。だから大阪、幻の大阪城
鎌倉があり、
室町があろう。
詳しくは、学芸員に聞こう。

平の農民と言うより、
庄屋クラスが、苗字帯刀を許され、
「自分は、昔、武士だった」と言いたい、
言えない。
そんな時、平農民に、庄屋が此れを見させる。
農民も、娯楽として、知っている。歌舞伎が好きだ、。

本当の農民は、「馬の飾」でない、と思う。
須佐の面がある、
須佐之男命は、何か。
それを述べる能力は私に無い。
ただ、想像するだけ、何を??
農家の「お爺さん」が「孫」に、説明する。
「須佐之男命」は「だなー・・・」と
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ここからが私の想像だ。「須佐之男命は農業を守る神様じゃ・・」と
「子供の獅子達は、家族だよ・・・と」
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三面が、一ッの箱に入る。箱が又粗末な箱。三面は、造りが全て違う。
素朴な感じがする。もう一度、行き、訪ねたい。

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