haruharu Page

-----no.4979---2011/11/04---
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古文書の頁である。
半田の亀崎。
右が表紙のコピー。
メモに依ると、
2011年、02月、24日とある。
此は、受け取った、日付。
つまり入会時だ。
終わったのが、昨日11月3日。
始まりは六月二日。
只、この日は、俺欠席。
本能寺の日。
信長命日。
何処かに、行っていた。--
さて、題「御触状留帳」
明治二年。と有るが、
昨日はまだ、160頁。
だが、一月、何故か、76頁から始まる。
で、五月辺だ。
次回から、文献が変わるので、
此処で少しまとめる為の頁だ。
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「鈴渓学術財団」の印がある。
此処の所有だろう。
その前に、一頁表紙あり、
「盛田家文書」no12。
93、6、4
想像だが、福祉大が、見たと言う事だろう。
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93年に、日の目に出た。
それまでは、蔵にでも、眠っていた。
福祉大が読んで、「本」迄は、してないが、
参考資料として、保存し、
それのコピーだろう。
メンバーに福祉大講習参加者が多い。
(俺も少し参加)
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俺、読めなくても、
読んでもらうと、少し見える。
日本史は、みんな習う。
俺も好きな方。
只、愛知県史はそれ程習わない。
郷土史は、小学生時代だけだろう。
中学から受験に入れば、当然、郷土史は無い。
例えば青森の歴史が試験に出れば愛知県の人が、負ける。
小学生の内に、郷土史をしよう。
今、郷土愛が無くなる、「ふるさと」がなくなる。
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これからが、本題で有る筈だが、
余り書けない。
つまり、まとまっていない。
明治二年前半、何が有ったか。見えるのは、混乱である。
「南郡役所」とある。役所名だが、これもどうも、ゴタゴタしている。 「南郡総菅所」でもある、
「人相書き」手配書でもある、又、天皇東幸も多い、金札でもゴタゴタしている。
「維新政府」がお触れをだすが、それが、ゴタゴタである、中央を調べるのも良い、 が、地方も調べる甲斐もある。
只、地方で、殺人とか、刑死は余り無い様だ。その点救われる。 尾張は、いち早く、「勤皇」になる。青松葉事件は不明が多いが、まあ、仕方無いと言える。 特に「農民」は、関係無い。尾張藩士が、新政府の達しをそのまま受け継ぐ様だ。 「触れ」では、分からない。此処では、「農民と維新」で見ている。
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「留書き」は、筆が変わる。まるで女文字、読みずらい。と言う訳かどうか解らないが、 話は変わる。文政六、三山詣でへ。

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