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-----no.5056---2011/11/15---
d20111108南知多訪問.mem
又又、ページの更新を手抜き。

11月08日の事
家を出て、南下。
9:56阿久比の辺、
河和駅前10:36
河和駅前の
観光協会は11:01
11時06看板
これらは、写真の
タイムスタンプで記録する。
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さて、観光協会である。
此処で新聞のスクラップのファイルを見せて貰う。 数刷ある。
勿論、此処の記事である。
新聞に掲載された。 特筆すべき事だ。、それも分かる。
が、新聞の日付が無い。すると、調べにくい。 で、調べるのは止め。となる。
聞いた事は、遺跡である。数日まえの半田の講座の、先苅、林の峰、清水の上である。
まづ、内海駅の先苅へ行く。と言っても駅の看板を見るだけ。これを読むと、 昭和53年名鉄内海駅高架工事である。8000年以上前、地表面以下13m。 収蔵は、郷土資料館。石器の図あり、以上。
これだけでは、それと余りニモ前の事で、未知の分野で、考察も出来ない。

中学校の前を通り、山側の寺、新四国四十七番、林の峰遺跡へ、此処は、柱があるのみ。 只、地形が見える。人は林の前の浜辺に住んだのだろう。小さい遺跡の感じである。 その程度しか言えない。山に向かい左側に山道が有り、この裾野に墓がある。 これが、余りにも素朴で、此処にかきたくなる。江戸時代を感じる。明治にナルト、 「なに々家の墓」と見栄ほく感じる墓が多いが、それ以前の故人を祀る素朴さがある。 花もある。野々花が。
最後の遺跡、清水の上へ行く。聞いて行ったが、少し迷う。観光地図は漫画化していると、 余計、判断が」難しい。谷と言うべきか、狭間と言うべきか、その先は通行止の様だ。 ここは、遺跡がそのまま残る。感動できる人は感動できる。是非、又発掘して欲しい。 その時は、見学したい。遺跡として、これを観光資源とすべく地元も考えている様に思える。
五十七人が金を出し、看板が出来ている。山下勝年先生の名もある。
この辺、江戸時代、みかんの発祥の地だともいう。
この後、南知多町の体育館へ行く、山の上の工業団地の片隅である。ここは、町郷土誌「みなみ」 を求める為だ。体育館以外は、事務所があり、2、3人が居た。少し期待ハズレ。 歴史物を少し期待していた。
帰り道中、気が付く、狼煙台である、以前も探したが、今回は、一番頂上らしい所に出た。 多分此処だろう。が、背高泡立ち草が、一面で、確認は出来ない。

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