haruharu Page

-----no.5088---2011/11/19---
15日朝、晴天。
前日、パソコンで、一応予定表を見ていた。
朝、忘れている。
9時半集合だが、10時近い。
迷うが、行く。
合流できなくても、もともとの気分。
自宅から、生路まで、
20分は掛かる。
そんな時こそ、
大回りして、信号待ちして。
集合場所の公民館は、
当然誰もいない。
で、車のママ、案内道と思しき所を行く。
すると、生路神社の崎で、
目立つ明るいウインドブレーカー姿が、見える。
で、公民館まで、戻り、駐車して、
リュック姿で、歩き出す。
歩くと、相当進んでいた。
少し迷った。
弘法の丁目石の辺で、
合流できた。静かに合流。
この辺、地図で確認すると、
実に、複雑である、。
江戸時代から、変わらない様である、。
が、
工事中もある。聞くと、小さな工事、人の住む地帯は、それなりに変わる。
変わるかどうかは、時々歩くに限る。

観音寺、常照寺、神後院。 此処で、寺名を思う。まづ、観音寺。私の個人的な意見であるが、敢えて云う。
名前が大き過ぎる。地名なり、由緒なりで、命名するのが普通だろう。 すると、初めは「観音堂」だろう。観音堂つまり、「生路神社観音堂」、 それとも「乾坤院観音堂」
同様、神後院もそうだろう。「生路神社神後院」だ。
ことわっておけば、当然、江戸時代前だ、1300年代だろう。 記録が無い。想像は、自由だ。すると、南北朝をどう想像するか、が問題となる。
村」とは、「寺」とは、が、どう定義するかである。天皇家か荘園か、武家か、 支配者が、誰かが問題である。そして、その領域が何処までかが問題だろう。

原田酒造の前から、踏切をわたる。と、時代が新しい。昔は海だある。 伊勢湾台風があり、織り物工場があり、ついでに、自販機まである。 飲料だけでない、スナックまである。
どう判断すべきか。 新しいと言うべきか、店が無いと言うべきか、そういえば、線路から東はコンビニを見ない。
もう、一ッ、あえて言う。高いビルが無い。とは、津波の関係で思う。 今でも、踏切を渡るのは大回り。当然、車では逃げれない。線路を歩いてわたる。 (当然、電車は止まっている。)
道路を渡り、細い路地の様な道路で、高台へ逃げる。それより高いビルを作ろう。 では、何が良い。嗚呼、こんな事言いながら、来年辺、忘れる様な気がする、 伊勢湾台風の碑の教訓は何か?

2011年11月へ