haruharu Page

-----no.5138---2011/11/23---
此処では二ッの事を書きたい。
一つは、宮崎あおいの可愛さ。
もう一つは、蝶々夫人。明治の武士の娘。

と、言っても、上記二つは分けれない部分が多い。
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先週末、土曜、NHKを見た。
http://www.nhk.or.jp/dodra/dodrasp/
此の頁が何時まで有るかは知らない。今年中に消えるかもしれない。
最近、NHKの「戦国姫、江」が少しノレなくなってきた。
違うと言いたい所が多い。「平成の江だ」と割り切って見ている。
今、主張する女は「江」は、こうあるべきだ。と言っている様だ。
違うが時代だから、仕方無い。そう考えても、不協和音がでる。

戦国姫、江については、改めて述べる時があろう。
今は、蝶々だ。
オペラは知らない。昔、永谷園のコマーシャルで、漫画の三木のり平が、「おお、ピンカートン」 と、喋って居た位だ。

宮崎あおいは可愛い。みんなそういう。そういえば、コマーシャルを見て、オリンパスのカメラを 買ったっけ。(オリンパスについては以前述べた)。
どこが可愛いか。何処にでも居そうな女の子、でも、探してもいないと思う。そんな子だよ。
映画も見たことが有るが、なんと言っても「篤姫」の「女の道は、一本道」だろう。
あの時は、幕末であり、明治の篤姫は、家族写真を撮影した程度だった。(それは、フィクションだろう。) 只、明治を先取りした女と言えると思う。

前に述べる様に、オペラの名作「蝶々夫人(マダムバタフライ)」を知らない。
で、少し調べる。
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長年、有力視されていたのは、
幕末に活躍したイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの妻、ツルである。
彼女が長崎の武士の出身
「蝶」の紋付をこのんで着用し
「蝶々さん」と呼ばれた
。 旧グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にある
ロングの小説で具体的に記述されている蝶々夫人の経歴
グラバーとツルの間に生まれた長男の倉場富三郎は
「姉は倉場富三郎に会ったことがある」と語った
「蝶々夫人=グラバー・ツル」説。

洋妾(ラシャメン)、
ロシアの皇太子時代のニコライ2世
ドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
長崎奉行が公認
楠本滝は、シーボルトの帰国後に婚姻・離婚を繰り返
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今、此の頁は明日、後半扁と言う時点で、書いて要る。
後編が、どういう展開か、原作も読んで無いし。
NHKはこう言う。
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【後編】遠いアメリカ … 11月26日放送
老舗「末石」の舞妓となった蝶々はアメリカ海軍 フランクリン少尉と領事館のパーティーで知り合い、互いに惹かれ合う。
フランクリンの中に「武士の心意気」を感じた蝶々は、
結婚を決意するが、フランクリンにとってその結婚は滞在中だけ、
かりそめの夫婦生活を過ごす「長崎式結婚」だった。
-------以上 --------
只、宮崎あおいさんが、明治の女と描かれると、信じている。

序に、蛇足だが、家の子は顔が「宮崎あおい」に、似ている。
他人は、いろんな人に似ていると言うが、知らん名が多い。
下の写真は、家の子・・では無い、当然、あおいちゃん。
だが、昭和生まれでも、心は、平成の子である。
ああ、余分、余分。

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