haruharu Page

-----no.5203---2011/11/29---
研究発表で、
3グループ中、
Cグループは俺。
何とか会場までは、緊張して出かけた。
だだし、
会場で資料を受け取りガーーン。
Aグループが、3+5(資料)で合計8ページ。
Bグループが、8ページ。
それに引き換え、俺2ページ。
それに、資料の図が殆ど見えない。
だから、実質1ページ。
(アインシュタインの相対性理論が論文「1ページ」を意識していた訳でない。
但、余分は、できるだけ省く殊に、能力を使ったのは、ホント)
皆さん、凄い立派な発表で褒められ、俺は自分自身まずい事は分かった。
俺、ガイドというより、「調査」を本分と思う。
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言い訳は、このくらいで、本題へ。
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Aグループから、話そう。題名から、発展して、印象は「半田は大本営」的な話が目立った。 開園歴史が、よく解らないから、現在「雁宿公園、歴史」で調べた。---
-----------以下だ。
明治23(1890)年に帝国陸海軍大演習が衣浦湾で行われました。
その際、大本営がこの地に置かれ、明治天皇も訪れました。
はそれを記念して1913年に公園として整備されました。
桜の名所で、展望台からは半田の街が一望できます。
園内には動物園があり、
ニホンザルの他フラミンゴたちが迎えてくれます。
また、半田に由来のある石碑等も数多く設置され、
明治天皇駐蹕碑、新美南吉記念碑、小栗風葉顕彰碑、殉難学徒像など
半田の歴史を感じる園内となっています。
-----------以上、一言で言えば「半田歴史公園」らしい。
つまり、「半田の歴史は大本営」で、間違い無いようだ。此処へは、4,5回は、行った。桜見物が主だ。
桜の時期以外は、さみしい感じだった。動物もさみしい。話が外れるが、「明治と桜」に関して、思いがある。
「同期の桜」の感じである、「咲いた花なら、散るのは覚悟」。そういえば、「忠臣蔵」も桜が出てくる。
「・・・散るのは・・」つまり「散れ!」と、言われている感じでいやだ。
上の説明は「1913年」とある。大正2年である。この辺、日本が進む道の、分かれ道の様な、時と思う。
「半田の大本営」の話を聞くとき、よくここが気になる。
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もう一つ、追加する、俺みたいな、転入者は、「半田の大本営」の話を時々聞く。 すると、類似も探したくなる。半田の後、明治帝は知立へ行く。知立神社に石牌がある。 ただ、知立のボランチアガイドは、この話を、詳しく云はない。向こうは、杜若で売り出し中だ。
天皇関係の話は「神社」が適当とも、思う。
蛇足とも思うが、明治天皇の話もあれば、昭和の戦争の話も、歴史である。
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Bグループは、「中埜家住宅」である。俺は、一度だけしかない。その時は、お雛様の時、 確か、ケーキのセットを頂いた。一応、建物全部、拝見したと思う。だが、殆ど忘れた。 又、行きたいと思う。
レポートを見ると、4の類似・・がある。北九州は行ってない。
岡崎に「岡崎銀行・・」、これは、貨幣博物館だったと思う。比較する程の能力が無いが、 結構、どっしりとした建物だと思う。
鶴舞公園は、小学時代の遊び場だった。噴水塔は、濡れながらよく登ったっけ。 古い感じだった。日本的で無いと珍しかった。
行きたいと思うのが、覚王山だ。確か松坂屋伊藤家だ。此処は、信長の本能寺からの歴史で、 明治の名古屋発展の基礎の家だとおもう。
旧中埜銀行は、外からだけで、入れてもらいたい。
「豊田喜一郎」も外から見ただけで、いれてもらえない筈だ。だが、さすがの豊田で、 庭の花や、屋根など、チリ一つ無い感じであった。
名古屋、赤塚の「貨幣資料館」は外見は、変わったとおもうが、如何か。 今年一月頃いった。
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其の外、名古屋はまだある。豊田サスケの家など、無料で見せてくれる。市の補助か、 あの辺、相当、市も観光に力を入れている。ただし、ボランチアも多そうだ。
庭の手入れ等は、市の程か、ボランティアか、いずれでも大変だ。

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