haruharu Page

-----no.5281---2011/12/07---
--2011、12月7日夜
午前はパソコンで、
午後外出。
今日は、曇の筈で、
外出は控えて居た。
が、存外、良い天気。
フラっと出かける。
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少し、気になって居た、
知立の宝蔵寺。
歩くつもりである。
で取り敢えず車を運転しながら、
駐車場を考える。
で、取り敢えず、図書館へ入る。
止めたからには、図書館に寄りたい。
そこで、
以前から気になって居た事を調べ始めた。
明治二十二年に明治天皇だ。
「明治天皇行幸年表」と、「天皇家の宿」が、出てきた。
二階で探すがない。で、
「知立市史 中」を引く。
第七節に「記念碑」があり、
此処に少しかいてある。
「明治天皇の来迎寺の御野立所の根府川石の牌」と、写真がある。
「知立休憩所の銅牌」もある。
この当たりに付いては後で、再考。
図書館で、長居をした。
序に歴史館も覗く。
上の写真を此所での写真が多い。
ここも、なんども来ているが、
始めて知った事がある。
「松平秀康が双子だった」件だ。
ここも、三〇分も居たか。時間が進む。
目的の歩いて、「知立宿」を感じ、「宝蔵寺」へ行く。が出来ない。
つまり、最後、車で、
「宿」当たりをぐるぐるして、
帰りの知立の陸橋はもう、夕焼けである。
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「知立市史 中」を引用する。
明治二十三年、の陸軍大演習に、明治天皇が御観戦された地、来迎時町の猿渡川北岸に建立されている 「錦旗千載駐餘光」の石碑で、これも有栖川?仁親王の書である。 ・・・西町の児童公園へ、大正二年に牌が建立された。 書は大島徳太郎で「明治天皇駐ひつ地」の銅牌・・・」とある。
次は「明治天皇行幸年表」を引用する。
此処等は、半田ガイドで、
盛んに謳われている所である。
其の前後である。
四月一日から、刈谷へ来るが、
その辺は
興味の有る人は、
自分で見て欲しい。
明治二十三年である。


「二十八日・・・ 
      新橋より御汽車にて、  名古屋着御
      名古屋大本営    名古屋市   東本願寺別院
 二十九日 名古屋より御汽車にて武豊着御
      武豊 同 武豊町 籾山與兵宅御小休止
      武豊 同 同   軍艦八重山御假泊
 三十日  (武豊より御汽車にて半田着御)
      半田大本営 同 半田町  小栗富次郎宅御泊
 三十一日 乙川    同 亀崎町 大演習御統裁
      雁宿    同 半田町 雨中大演習御統裁
      (半田より御汽車にて笹島着御名古屋停車場御小休)
      名古屋大本営  同 名古屋市   東本願寺別院
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半田と刈谷の違いは何処か。
自分で探すのが、めんどくさい人の為に云うと、刈谷では、止まらないと云う事だ。
「名古屋から来て見て帰る。武豊の場合、「小休」で、あと軍艦で寝る。 大本営の話は、この辺で止める。
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大分、頁が長くなった。(基本は、スクロール無しで、一頁としたい)
知立神社である。一言で云う。家康二男、秀康は、双子で、双子は嫌われ、 秘密にされた。捨てられた。だが、母親としては、可愛い。
また、何時かこの点を述べよう。永見氏お万の方に付いては

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