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-----no.5301---2011/12/11---
--2011/12月12日(月)朝
公民館は10分程だ、
腹も減らないから、
そのまま駐車へ。
まだ一時間ある。
多分外部から来た一番だろう。空き空きの駐車場へ、そのまま入れる。職員が、「満車」看板を準備中。
「外を歩く事も無い」と思い、会館に入る。
気になるポスターがある。「赤穂」の今年の十二月十四日用だ。
これが、歴史と文学の違いを曖昧にする。
赤穂にとり、十四日は討ち入りの日で、切腹の日で無い。
もう一ツポスターあり「葵 かを里」だ。どうみても、演歌歌手だ。すこし調べると、吉良出身だ。
入口フロアーを見て廻るが、それ程特徴は無い。姉妹町に上矢作町が、あるらしい事位。
「上矢作町(かみやはぎちょう)は、岐阜県恵那郡にあった町である。
2004年10月25日に周辺市町村との合併により恵那市となった。」とあり、過去の話。
閉町の記念本も見せてもらうが2,100円は少し高い。
30分位して、会場の2階へ。
それでも、着席には早い。資料を頂き、うろうろ。西尾岩崎会館で居た学芸員の人もいる。そう言えば、 駐車場にもいた。ここは、西尾市で、西尾でもこちらが歴史は有りそう。
講演は定時に始まり3時頃に終わる。歴史の話である。まだ、30分あり、質問を受け付ける。 相当の人が、7,8名程か?。質問を聞いていて、かんじるのは、正邪の意識が有ると思う。
つまり「忠臣蔵」は、正が邪を討つ物語という意識。でそれは違うといくら言っても、消えない。 私も、最後に少し質問、否、確認、「忠臣蔵は、明治」意識だ。と。
始まる時間間際に着席した。一人だから、大分前の空いてる椅子を探して座る。終り退場の時、席が相当、 増えて居た。満員と言って良い。資料も全部無くなったようだ。
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俺の意見。時代が文学を作る。明治の文学を疋ずつている。平成の「最後の忠臣蔵」は、嫁入りだった。

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