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-----no.5322---2011/12/12---
--2011/12月12日(月)夕
又、西尾だ。
吉良の名前の元祖キララが有ると知る。
きらら、雲母。
本の西尾の頁が右だ。
今の土地は昔を忍べない。
自動車では、平面ばかり走るから。
この図をプリンターでだす。其れだけで出かける。
あとは、カーナビが頼り。
http://www.240kanko.com/index_nishio.html
こう書いてある。
「続の本記にも記されているなど、
八ッ面山は古来より雲母の
生産地として有名であり、別名を吉良山とも
雲母山ともいわれました。
吉良庄の地名の由来ともいわれています。」
と、書いてある。
キラは、昔から不思議に思う物だった。
小さい頃、砂がキラキラしていた。
砂の成分が、雲母と思った。これは、小三位か、「長石、石英」と言う単語と
ペアで、覚えている。
それとは別に、「雲母をめくる」と言う動作も、記憶に残る。
それと、相当後だろうが、
「持統天王か、額田の大君」が雲母をほめて「美しい」と言う姿が、残る。
何かの幻想だが、それ以上、思い出せない。

さて、本題の今回の旅である。
西尾駅、西尾市役所を過ぎ、北に向かう。駅の東側は、開発途上の町に見える。
北に丘が見える。地図から考えても此のあたり。
丘を一廻り二廻りして、上り口を探す。
案内図を発見。車で登れそうだ。2,3分で、工事中の通行止がある。交通整理の人に色々聞く。
神社の鳥居と石碑があり。ここに車を止め。神社へ進む。式内宮である。久麻久神社。
名前からして古そうだ。中国ぽい名で無い。和ぽい。「くまく」の音だろう。
「崇神天王の頃、丹後国与謝の里より久麻久連が開拓」と見える。その後、「文武天皇」とある。
「久麻久連」の話、地形を見て、単純に信じた。
何お??
つまり、「狩猟民族に、農耕民族が来た」と、直感した。
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拝殿に隠れて、本殿がよく見えない。が、それでも素晴らしさはわかる。室町時代の華麗さがある。
場所は山の中腹である。拝むにちょうど良い高さである。
御神体が山なら、此処まで登るのはゆるされる。
ちょうど、山の裏側の当たる所に、 雲母抗がある、驚いた殊に昭和の時代迄、現役だったと、案内板が読める。詳しくは、現地まできて読むと良い。 そのまま進む。すると階段があり、登ると工事中、貯水池のようだ。西尾市民の水瓶の様だ。
頂上に展望台あり。四方が見える。丘全体が公園である。 -----------
次は、小島竜宮社へ行く。大分探した。断層はよく解らない。場所は矢作古川のほとりにあたる。 後で、地図を調べると、矢作川の新旧の付け根である。
何を意味するか、取り敢えず解らない。又、考えよう。
最後に「信龍寺」を探すが、それらしい寺は無かった。帰って地図を確認すると、道路沿いの神社の隣だと分かる。 寺の前は通つた。「西尾城ゆかりの寺とか何とか有った」。
「今川発祥の地」は、以前、行っているので、寄らずに帰る。
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三時間程の旅だった。

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