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-----no.5322---2011/12/12---
--2011/12月12日(月)夕
東浦だ。
卯の里で研修。
問題の水野氏。
大分、理解出来てきた。
東浦にとっての水野氏。
否、全国で、水野氏を注目し始めた。
否、もう全国で以前から注目されている、水野氏。
全国に人が、家康を探す。
いつからか。水野氏各藩は、初めからだろう。
慶長も終り、元和から、戦乱が終わってからだろう。
それまでは、先祖より、本人の実力が大事。
松平記を調べる。
「2.『松平記』 慶長年間(1596〜1615)に成立と推定」
と言う文字がでてくる。又 「江戸時代初期に成立した『校訂松平記』にも」
ともある、
すると、相当早い。写本を又、探そう。
ただし、内容が、余りにも文学的だ。気になる。
「家康御童名竹千代殿・・・」とある。
呼び捨てである。「神君」とか、「権現様」で無い。
古くも感じる。
「三河物語」も出てくる。
ここらへんをどう受け取るかで、この辺の理解が変わる。 ------------------
蛇足ながら、付け加える。
司馬遼太郎は、「徳川」を余り書かない。
「覇王の家」「最後の将軍」位だろう、
前の物は、家を書いた。後は、幕府崩壊をかく。
「家康」自身を書かない。最後の時、それらしい事を「街道をいく」に書き始めた。
その時、逝ってしまう。後、一ヶ月が聞きたかった。

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