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-----no.5367---2011/12/19---
--2011/12月19日(月)夕
昼に知多に行く。
寺探し。
寒い時期だから、昼過ぎに出る。
知多はよく行くが此処はまだだった。
大祥院だ。
知多八幡普ケ脇。
八幡小学行の隣。
近くはよく通るが、ひっ込んだ処に入口がある為、見付にくい。
車だが、少し探した。
表通りから少し入ると、道は昔の間々という感じ。
もっと言うと、隠されている感じ。
車一台通れる参道が残る感じ。
墓石が並び、五輪塔があり、其処は駐車場が有った。ここも因縁が有るらしい。 「小作」から寄付を受けるとある。
どうも昭和二〇年戦後の農地開放らしい。
その事は、読み流した。
又、明治の歴史も有る。
虚無僧の話。
これも、読み流した。
今日は、信長時代を見に来ている。
つまり、「花井氏」だ。
桶狭間で、義元が負けた。
逃げ始めたが、花井は、義元側で、此処が本貫。
流浪するか。
知多では、いずれ滅びる。
其を見に来た。「水野と花井」、只、信長は、深追いしない。ならば、 暫く、考える時間が有った筈だ。花井氏は、大府の吉田町辺りの城跡も以前見に行った。 それと、知多市堀ノ内の山の津島神社も訪ねた。花井氏を大分見てきた。
そろそろまとめなくては??。
花井氏を、阿久比の、兼松氏と同程度と見た。 ただ、勝ちの徳川に着くと、家は残るが、負けの今川に付いた為、消えたと考えた。
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寺をもう少し、述べる。墓は古いのと新しいのと肩を並べる。江戸初期の墓の隣の隣・・に、 明治の墓、其の隣に昭和の墓。。。「花井」は見つけれないが、家臣と思はれる「某」の墓、 それに、「花が同様に」ある。十代前の祖先も二代前の墓も、同じ祖先として祀る様な感じだ。 花が多い。忘れそうな所に忘れない意思を感じた。地形だが、盆地と言うより、昔は、「谷」「廻間」 だろう。緒川の乾坤院の谷もそんな感じだった。
末寺の栖光院も回ったが、ここは以前二度程、行っているので、歩かなかった。 この辺、地図では解らない、上下の地形が有る。

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