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-----no.5394---2011/12/21---
--2011/12月21日(火)朝
次、揚輝荘へ行く。
此処で、「伊藤次郎左衛門家四百年」を買う。
揚輝荘に付いては http://yokiso.org/ を見て。
此処では詳しく述べない。
自分なりに要約する。独断的に。
「本能寺の変」に蘭丸がいる。
蘭奢待の蘭と言う。
これが松坂屋の祖先だと言う。
今年の町の講習会で、講師が、
千種区や、明治名古屋を話していて、
ここが出てきた。
今売り出し中と言う感じ。只、少し遅っかった。
殆ど、マンションに変身している。
日泰寺が先か、揚輝荘が先か、そんな感じだ。
いずれにしても、前頁の「末森城」が先である。

右図を少し説明す。 無料のパンフをくれる。二百円で、年表を買う。廻りは、駐車禁止で、切符張りが一台有った。
此の山東側、全て霊場だ。谷の部分が、保存で残る。
瓦の紋は、六葉の葵か、由来不明。 三つ葉葵もある、道標がある、「ひだり きふね」とよめた。何処からか、移築か。
水、土曜は説明会が有る。日泰寺に寄る。まあ、そんな所。

さて、本題の続きである。信長である。「本能寺」で、武士を止めた家である。商人になった。 (序ながら、東浦には、武士を止めた家が有ったが、「百姓で農民」で、商人では無い。)
信長は、武士である。間違い無い。「天下布武」と言う。
だが、忘れていけない事がある、「商」である。「津島」は商湊である。商の才能である。
「伊藤蘭丸祐道(すけみち・19歳)は、信長の側近として八百石の禄」と書いてある。
私の解釈は「商人としての信長」を尊敬していたと見た。

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