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-----no.5412-----
--2011/12月24日(土)朝、晴れ
メールがあり。
要領が何も解らず。
着いたら誰も居ない。
少し待つ。
緒川公民館
(そう言えば、小川新田公民館はどうだっけ)。
人が居れば、活動が有る。
標高」の記事、地図もある。
今日のスケジュールもある。
集合は、緒川のオーソリてー三人と俺。
地図を貰い出かける。
そもそも緒川は旧「城下町」である。
千三百年頃から、千六百年頃まで、約三百年。
その前は、少し飛んで、古墳時代、。
これは、森岡も古墳あり。
そう言えば、生路当たりは、貝塚がある。
只、緒川が一番、時代の流れがはっきりしている。
緒川は、地方版だけでなく、全国区でPRすべきだ。
江戸時代も明治もあるし。
只、当然ながら、消え出してもいる。
分譲らしい。
つまり、宅地だ。
宅地なら何処でもできそうにも思う。
個人の物なら、まとまりに欠け、
今後は「どこからどこまで」と説明が要る様になる。
城址も廻るが、やはり境界がぼやける。
今後此処にブルトーザーが入ると益々分からなく成るだろう。
天気の良い日である。
北から、東が展望出来た。此の展望は、江戸時代の人の見たものと変わらない筈。 否、もっと前、鎌倉時代の人も、古墳時代の人も同じものを見ただろう。
此処で、歴史を想うと良い。そう言えば、知多の歴史館が、「天気がいいと山が見える」と二階のガラス窓に 書いて有った。東浦の歴史館も「ここが良かった」の意見が盛んだった。
頂上辺で石碑を写すがこの時カメラモードを接写にして、そのまま最後まで行ったので、後のはボケた。 ただ、始めての土地を踏む、墓地状である。公園の柵の外に当たる。三代の墓も、別の視点で、見た感じ。 終り頃、急に寒く成る。真冬だ。

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