haruharu Page

-----no.5434-----
--2011/12月26日(月)夕、
家康の文書が
出てきたので、メモる
今年、展示会で、
日光の文書を借りたと言うこと。

古文書は、一般に下から上に出す物はよく見る。
これは、朝廷から家康。
上から、下への文章になる。
書き方に注意。
(天皇の名は無い)
-----------以下は調べた結果--------
------以下と読める。------
内大臣源朝臣
左中弁藤原朝臣光広
宣権大納言藤原朝臣兼勝宣奉
勅件人亘為征夷大将軍

                         奉
 慶長八年二月十二日、中務大輔右大史 草博士権親孝亮
-----------------
以上だが、
これにもミスがあるという。
只、写では無い様だ。
日光が持つから。
慶長八年は1603年。
慶長八年は、江戸幕府の始まりとはっきり言える。
家康は、それまでは、「内大臣」である、よく「内府殿」とドラマに出る。
「内府」が、何時からか、調べて居ない。
関ヶ原は「内府」と思う。
もう一つ「源」も要注意。
後、人物が出てくるが、調べて無い。
受け取り場所だが、確か「伏見」か「二条城」
文章の字句だが、それなりに読める。「徳川」とか「家康」とかは、俗の名前であるから、出て来ない。
---------------
織田信長、豊臣秀吉が、この辺の文章は無い。
豊臣秀吉は、「関白」から、「太閤」で、 それ程異存はでない、問題は「信長」これは、まだ、闇である。「三職推任」だ。

2011年12月へ