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--2011/12月27日(火)昼下がり、
以下、NHKの言い分。
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番組をご覧いただいたみなさまへ
  制作統括 藤澤浩一
本格的に制作準備を始めたのは2003年のことでした。
放送終了まで8年あまり。
とても長い歳月を要した番組でした。
撮影を開始したのが2007年11月で、
終了したのは3年後の2010年11月のことです。
実は1年前に撮影を終えていたのですが、
最終回が完成したのは放送の直前でした。
・・・・
「放送の間隔が長すぎる」というご意見を
・・・
司馬遼太郎さんの原作を映像化するために、
・・・
「坂の上の雲」をめざして歩んだ明治の人々を描くために、
私たちも試行錯誤をくりかえしながら、
一歩一歩坂を上るように番組を作ってきました。
私たちにとって直接つながっているはずの明治という時代について、
学びながら番組を制作してきた気がいたします。
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以上だ。
大掃除と、此のNHKの頁のを読みながら、午前が過ぎた。
単なる映画なら「面白かった」とか「面白くない」とかで良いが、・・
「歴史」と見ると、
今から考える事が「始まった」と言える。
「好古」と「真之」が主人公と思える。
彼らこそ、坂の上の雲を見つめた人生だ。
早く逝く子規は、坂の途中だった。
だが、平成の者には「子規」の名が大きい。
又、NHKの説明。 -----------------------
日本海海戦のあと真之はどう生きたのか。
ドラマでは、根岸の子規庵のあたりをさまよい、
子規の墓前を訪れる真之の姿を通して、その迷いや葛藤を描いている。
しかし、ふるさとの海に船を浮かべ、
兄の好古から「お前はよくやった」という言葉をかけられたとき、
真之はそれを一つのピリオドとして、自分の中の思いに決着をつける。
満州で激戦を戦った好古もまた、最期は家族に支えられて世を去っていく。
「坂の上の雲」というドラマの本題は、そんな静かな結末にある。
・・・
真之のエピローグは海軍省の廊下を歩いていくシーンだが、
実はこの撮影は3年前のクランクイン直後に行われた。
ラストを最初にということで、
本木雅弘さんも少しとまどったそうだ。
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・・・どうも、まとまらない。
年末、少しは大掃除も手伝う。
「降る雪や、明治は遠く、なりにけり」は、
年末には、読めない、
年が開けて考えるべきだろう。
中途半端の頁だが、閉じたい。
その前に、今又、「司馬遼太郎を読み始めた」と言っておく。「司馬遼太郎が考えた事」が十五巻ある。 これに入る。宮城谷の本を考えていたが、後廻しとする。
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最後にもう一言。「良い映像だった」

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