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--2011/12月28日(水)朝
今朝は、昨日よりまだ寒くない。が、外は寒い。で、机に向かう。

右が、誰だか。調べると、加藤友三郎(草刈正雄)だ。加藤友三郎は殆ど知らない。又追追調べたい。
取り敢えず、以下だ。
生年月日 1861年4月1日(旧暦文久元年2月22日)
出生地 安芸国広島
没年月日 1923年8月24日(満62歳没) 死没地 東京府東京市
出身校 海軍大学校卒業
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もう少し詳しくは以下だ。
加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、
文久元年2月22日(1861年4月1日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、
日本の海軍軍人、政治家。
階級は海軍大将。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。
海軍大臣、内閣総理大臣(第21代)などを歴任した。
海軍軍人として、海軍省の次官や呉鎮守府司令長官、第一艦隊司令長官などを歴任した。
その後、第2次大隈内閣をはじめ、
寺内内閣・原内閣・高橋内閣・加藤友三郎内閣と5つの内閣で海軍大臣を務めた。
1921年(大正10年)から1922年(大正11年)にかけて、ワシントン会議に出席した。
階級は海軍大将だが、没後に元帥の称号を贈られている。
1922年(大正11年)には内閣総理大臣に就任したが、翌年、在職中のまま死去した。
外務大臣の内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任として加藤友三郎内閣を差配し、
後任の内閣総理大臣が任命されるまで政権を運営した。
同じく海軍大将であった加藤隆義は養子。
甥に小林躋造海軍大将、早川幹夫海軍中将(両者は兄弟)がいる。
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今、言いたいのは、海軍だ。つまり、海軍は真之が主人公だ。
何の為の写真かと言うと、帽子に注意。「碇に桜」だ。同期の桜である、「貴様とーーーー」
「船乗り」である。これは、軍だろうが、商だらうが同じで、板子一枚下は「地獄」である。
「「真之」が、多くの死人を見た」と言うNHKのラストだ。どうも、嘘くさい。僧にならない。
ドラマとしては、それで良い。が、上の履歴では内閣総理大臣で死ぬ。もう一度、「司馬」の本を観たい。
乃木は、多くの死体を見た。明治と共に終わった。司馬はそれは言わない。 「軍神、広瀬」の所で、終わった感じである。
戦闘場面が多過ぎるのを、司馬は嫌がったと思う。
他に感じた事が多く有る、夏目漱石も正岡律も・・・又、この話は、いずれ。

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