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-----no.5470-----
--2011/12月30日(金)夜
昼時間があったので出かけた。
知多市、寺本、堀ノ内。
緒川新田の交差点が、
東浦町と、知多市と、東海市の境である
ここを西へ。よく使う道だが細い。
長曽橋西まで5,6キロか。
ここが信濃川だ。
右折して橋をわたる、
地図を見ると、堀ノ内・・
そんな感じだ。
コノ川を渡ると、堀の中の感じがする。
堀の内城は以前登った。
この丘と今日行く丘を、取り囲んだ様に川が流れる。
川の名は「信濃川」。
信濃守が居たと言う。
戦国時代に入る前、まだ余り戦いをせずに農地を治めれた。
そんな領主の感じが「信濃守」だろう。
川辺は米がとれた感じがする。
つまり、灌漑が出来やすい感じがする、流れが緩やかな感じ。

極楽寺から、
秋葉神社に登り、
廻りの低地を眺め、
新しう住宅の中に、古い村がひっそりとある。
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説明板に、鎌倉時代の「地蔵菩薩立像」、室町時代の「鰐口」永正六年、 鎌倉時代の「聖観音菩薩坐像」とある。
以前、拝んでいるかもしれないが、記憶は無い。
永正六年は、1509年に成る。7年(1510年) - 織田信秀、織田信長の父が生まれている。
信秀は、成長するその、材料がこの辺から見出すべきだろう。 応仁の乱は1467年だから、領主の権威が無くなる頃だろう、つまり実力がモノを言う時代だろう。

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