-----no.5501---2012/01/01---
--2012、01月01日(日、夕)
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年末、年始で、寺詣でする。
行程は以下。
31日、先ず乾坤院。
次は、阿久比、宮津の光西寺。
元日は、先ず乾坤院。
次は、緒川新田の山神社。
企ては、失敗したが、
実は、除夜の鐘を考えていた。
だが、身体は、意思は、ナマッテいて、
夜、11時頃、寒さを思うと出れない。
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乾坤院の薪は、灰に変わって居た。
それと、乾坤院横の「水野家の墓」の廻りだが、
柵が除かれて居た。
始めて、この状態を見た。
いずれにしても、静かな正月だ。
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阿久比の光西寺だが、説明を読むと・・
永禄6年、三河の国で起きた一向一揆に・・、松平家康と戦ったが、敗れ、・・
「三河一向一揆石川台嶺遺筆」が寺宝・・
とある。
見たい物だ。
調べると、石川台嶺は幕末の人で出てくる。あれ???
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乾坤院の薬医門だが、説明板に「・・斗?(きょう)、虹梁、蟇股・・」を調べる。
虹梁(こうりょう)とは、
梁(はり)の一種で虹のようにやや弓なりに曲がっているものの事です。
「虹」の名は緩やかに湾曲した形状に由来し、
彫刻や彩色などの凝った装飾がされる事も多いです。
斗?(ときょう)とは、
木造の寺院建築などで、主に柱上にあって深い軒を支える仕組みの事です。
斗(ます)と肘木(ひじき)とを組み合わせたもので、様式・年代によって特徴があります。
斗組(とぐみ・ますぐみ)や升組(ますぐみ)と同じ意味です。
蛙股(かえるまた)とは輪郭が山形をした部材で、構造上に必要な支柱でしたが、
後に装飾化されました。見た目が「蛙が股を広げたような形」になりますので蛙股と呼ばれています。
通常、梁(はり)や桁(けた)の上にあります
厚い板状のままの板蛙股と、内部をくりぬいて透かせた本蛙股とがあります。
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