haruharu Page

-----no.5576---2012/01/08-----01月09日(月、成人の日、朝)
テレビ、NHK、大河である。始まった。
何が、清盛だ。
---------------
話を始める前に、一言。
最近NHK大河を面白く無いと言う御仁が居る。
それらの人々の何割かが、 「歴史と違う」という歴史家である。
私はこう思う。「歴史とは、現代を考える」と。
歴史を知つている者が、「あれは、おかしい・・だから見ない」では、歴史は知識で、 何の為に歴史を学ぶか疑問になる。単に「知識」だけで、優越感の為だけの個人のエゴだ。
歴史から、現代を学ぶ意識が要る。
余り長い説教は止める。
--------------
本題である。
第一回を見た。面白い。
考える事が多い。
先ず言うべき事は、「知らない」と言うことだ。
「誰の子」という疑問。
熱病(マラリヤ?)で死んだ。
京都、六波羅寺に像を見た。
其の外は、雑念であり、雑音である。頼朝の死を願う事も雑音に近い。
只、始まりは、この頼朝から始まる。頼朝が清盛を讃えた。
この作者の発想が、面白い。頼朝が心で思つても、言うわけ無い。
文字で表現する場合、それが書けるが、映像で、解説に言わせるのは変。 だから、この表現である。
第一回は「二人の父」だ。俺の今までの雑念は、単に清盛を「払い下げた」だった。
それも、「忠盛が願って」だった。「死を賭けて」が、相違する。
NHKの表現が「ドラマ」として、面白い。
NHKの年表を見る。以下。----------
1118年(元永元年) 1歳 出生。平忠盛に育てられる。   この年、佐藤義清(のりきよ/のちの西行)も生まれる。 1127年(大治2年) 雅仁皇子(のちの後白河)生まれる。 1129年(大治4年) 12歳 従五位下に任ぜられる。 -----------
NHKも十二才迄空白である。従五位下をどう見る。相当高いと見たい。が、知らない。
歴史はどうか?。都の武士をもう少し上に見ていた。天皇の血を引く平家。
「武士」をどう見るかが、この一年の課題となりそうだ。
明治維新の人も、もう遠い感じがする。織豊時代の人も更に遠い。清盛は更に更に遠い。
-------------
脚本家の藤本有紀が、NHKがどう描くか見ていこう。
脚本家の藤本有紀を全く知らない。
--------------
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ」という舞子の歌
この歌、今様、年間聞かされるらしい。どうも人生は「遊び、戯れ」らしい。

2012年01月へ