-----no.5655---2012/--01月15日(日、午後)
--------大浜陣屋は以下の如し-------
碧南市大浜陣屋広場は、市民への憩いの場の提供及び市民相互の交流を図るため
碧南市が平成20年(2008)4月に設置したものです。
昔大浜陣屋があった場所とされているため大浜陣屋広場と名付けられました。
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大浜陣屋とは、明和6年(1769)から明治5年(1872)まで、
駿河沼津領主・水野家が三河における領地を支配するために設置した役所のことです。
明和5年(1768)水野家は三河国大浜周辺6千石の加増を受け大名となり、翌年陣屋を設置しました。
安永6年(1777)水野家が駿河国沼津(静岡県沼津市)に領地を与えられても、
引き続き水野家の三河領の役所として機能しました。
陣屋では沼津から派遣される代官(郡代)・手代と現地登用の郷方が陣屋内に
住んで政務にあたっていました。
明治に入り、最後の領主水野忠敬は上総国菊間(千葉県市原市)に移され、 大浜陣屋は菊間藩大浜陣屋として廃藩置県を迎えました。
施設概要
所在地 愛知県碧南市羽根町一丁目12番地
面積 1,533.4u
---又、碧南市は次のごとく^--------
概要 [編集]三河地方に属する。碧南の名は、碧海郡の南部にあったことから。
三河鉄道(現・名鉄三河線)の本社があったこともあり、比較的早くから発展。 戦後直後の1948年(昭和23年)3町1村が合併し、碧海郡域で初、
西三河でも岡崎市に次ぐ市制施行を果たした。
かつては、兵庫県の須磨海岸と比せられた砂浜海岸は、高度経済成長期に工業地帯と変貌し、
平成に入り火力発電所を誘致することで経済的な発展に成功している。
------地理-----------
海抜6.9m、 愛知県中南部矢作川河口に位置する。
------歴史市制施行前-----------
古くは、西は遠浅の海で砂浜が広がり、南は権現崎を先端としてとがったような形をしていた。
東は海で入り江を形成していた。矢作川は現在の流路を取らず、油ヶ淵は最も大きな入り江となっていた。
大浜港(大浜湊)は古くから栄え、江戸時代には沼津藩の陣屋も置かれていた。
鷲塚も港町であり、江戸時代初期に矢作川が流入するようになると、
運ばれてきた砂により浅瀬となり、新田開発によって伏見屋新田および前浜新田が形成された。
廃藩置県以前、大浜村、棚尾村、平七村、鷲塚村は沼津藩(5万石)
(江戸開城後は菊間藩に転封)の領地であり、
西端村は西端藩の西端陣屋(1万石)、前浜新田は天領であった。
1605年(慶長10年) 米津の開削により矢作川が現在の流路に変わる。
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新しい街か、古い町か、判断に迷う。
それと、地理だが、相当の埋め立てがあると思うが、
それも、長期に渡るようだ。
寺町辺、大浜辺は古い筈だ。歴史的に見ると、此処等辺が、有名だから、 それに、惹かれるが、その他が良く解らない。魅力的な町の様だ。
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碧南を通り越し、良く西尾に行く。西尾は城下町で、定義しやすい。その点、碧南が難しい。
軒瓦の模様に見慣れないものが出てきた。沢瀉は慣れたが、渦巻きは何か?

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