-----no.5717---2012/--01月二十日(金、午後)
今日は午前は、古文書。
以下がソレだが、ミスもあろう。 ----------d20120120古文書東浦勧進A.mem------
藤江村
 新美瀧蔵様 貴下
          勧進元
             入山久米 尾州村木 石橋屋
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手徒ま(てずま) にわか
    かいだん七化 人情者無し(はなし)
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   口演
各(おのおの)様、益(ますます)御壮健、被為在御座候条、珍重之
御儀、奉賀候、陳(のぶれ)ハ、来ル新二十三日より五夜之間
午後四時始メ、右興行仕候間、、各様方
被仰合、賑(にぎにぎ)敷、御来駕之程、偏ニ
奉希上候 以上
 戌十月日 (明治七)
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ちょっと注意が居る。時代背景は以下だ。
11月9日の太政官布告337号によって、
明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日から
太陽暦(グレゴリオ暦)を採用し、明治6年(1873年)1月1日としたため、・・
つまり、十二月二日の次は、一月一日になった。
時代が代わろうが、庶民の遊びは盛んである。

てずまは手品、水芸が有名。コマ廻しとか、これら最近観ない。数年前迄、正月テレビでよく見た。
解らん事は想像する。
場所はどこ、小屋が有ったか、木戸銭はいくら。
月は十月か、十一月か、農閑期だろう。十二月なら、年末休暇だが・・。

次は、生活が懸る
----------d20120120古文書東浦魚.mem------
乍恐、奉願上候御事
三州地白魚漁師、先年より四艘之処、今度
弐艘、相増、漁業方御理解之趣、奉畏候得共
先年より、漁場極りも、有之候事ニ付、先方
増船出来候而者、自然ト不漁、迷惑仕候間、可
相成、御儀ニ候ハバ、是迄之通、被成置候様、仕度、奉願上候
尤、先方、是非、増方ニモ相成候ハバ、当村之儀も
銘々、壱艘宛(ツツ)相増、都合、拾艘ニ而、漁業仕
御陰を以
御献上魚、無差支、渡世相続、仕度、此段
御聞済、被下置候ハバ、一同、難有仕合、可奉存候、以上
  辰十一月
            藤江村 九郎右衛門 印
            同   源右衛門  印
            同   十助    印
            同   金兵衛   印
            同   彦左衛門 要助 印
  鳴海 御陣屋
右之者共、奉願上候通、相違、無御座候間
願之通、相叶候ハバ、於私も、難有仕合、奉存候、以上
             右村庄屋 久兵衛 印
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漁民の訴えを庄屋がまとめた。多分、庄屋が全て書き、漁民は印を押したと考える。
只、生活が苦しいと云う感じがしない。
「渡世相続」という文字が、産業を感じる。
- 安政3年1856年でほぼ確定と。
「三州地」も気になる、刈谷藩を調べると土井利善「土井氏刈谷藩8代藩主 (1847-1866)」と、
出てくる。
すると、先日の碧南の歴史が気になる。 大浜陣屋だが、天領も有ったし、菊間藩飛び地でもある。もう少し調べたい。
藤江村が大きい態度で出てくるのは、相手が弱った時かもしれない。
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電話で「藤井・・美術館」に確認したら、大浜村は、沼津藩が1777年から1869年迄治めている。
つまり、「沼津藩だ」
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咄は変わる。昨日、亀崎でも古文書が有った。ここでも気になる事がある、 御山に登るのに「草鞋」を替えさせる。其の古草鞋の処分だが、私は今でも、 再生したと思う。江戸時代は物の再生の時代である。「肥え」から始まり、紙、灰なんかも、 使える物は使う。まして、中古の草鞋は、何かに使う筈。
「草鞋」をもう少し詳しく考えたい。「つま先」と「かがと」とどちらが消耗するか。 平地と山道と減り方も違うだろう。蹄鉄の無い日本は、馬も草鞋を履く。専門家業が、 回収、再生、販売を担当していただろう。組織として、草鞋を売っている。

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