-----no.5752---2012/--01月23日(月、朝)
清盛三話目。
画像として、面白い物が無かった。
面白い物とは、歴史的に考えてだ。ドラマとしては、ライバル義朝の対決は面白いのだろう。 だが、競馬なんかしてないと思う、また、どっちが勝っても、今後の対決に、関係無い。 ただ精神的な対決意識は別だ。それを映像とすれば、こうなると云う事だ。
関心は、最後の「紀行」である。伊勢平氏は此処から始まったのか・・

忠盛を調べる-----
生誕  永長元年(1096年)
死没  仁平3年1月15日(1153年2月10日)
官位  正四位上刑部卿
主君  白河天皇→鳥羽天皇
氏族  桓武平氏維衡流(伊勢平氏)
父母  平正盛
兄弟 忠盛、貞正、忠正、時盛、源義忠室
妻 祇園女御の妹、源信雅の娘、藤原家隆の娘、藤原為忠の娘、
正室:藤原宗子(池禅尼)
子 清盛、家盛、経盛、教盛、頼盛、忠度、  忠重、藤原親政室、源有房室、藤原隆教室、藤原顕時室
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上を読むと、もう完全な都の武士である。
伊勢に基盤はあろうで、調べると-----
伊勢平氏(いせへいし)は、
承平天慶の乱に功のあった平貞盛の四男平維衡よりはじまる平氏一族の一つ。
平氏の中でも伊勢平氏、特に平正盛の系統(六波羅家あるいは六波羅流)を
平家(へいけ)と呼ぶ場合[1]がある。
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承平5年(935年)2月
天慶2年(939年)
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伊勢から都は近い。百年も治めている。
これだけで、想像する。
収入はどの程度。これが、中央で活躍出来るかどうかである。
伊勢は完全に支配下に置いてあるとする。収入の一部を献上(賄賂)に使える。
これに、清盛が、「商人」としての収入が加わる。これが私の清盛像だ。
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紀行に忠盛の産湯の地があるが、一応調べた方が良い。

今年の大河を考えるとき、東浦からみんな遠い感じ。
ここぐらい行けそう、。後は京都か。

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